松戸上本郷道院のブログへようこそ。
いろいろ忙しく、だいぶ更新をサボってしまいました。皆様におかれましては変わらずお元気でしょうか?
本日は、教えを踏まえての、教えの表の顔と裏の顔とでも言うべき点についてお話ししたいと思っています。
漸々修学
少林寺拳法の修行は、何か悟りを開いたら終わるものではなく、常に一歩一歩日々成長していく地道なものです。
そのことを漸々修学(ぜんぜんしゅうがく)と言い、坂道を登るような少しずつレベルアップしていくものと教えられます。
https://ameblo.jp/shorinjikempo-kamihongo/entry-12676985544.html
だれでも、今からここから、修行を始めればそれなりに成長をいたします。
小練せば、、、大練せば、、、
「小練せば小成し、大練せば大成す」とは、少林寺拳法の拳士が入門する際に道院長が読み上げる「入門式表白文」というものに書かれている言葉です。
この言葉は「たくさん練習すればとても上達し、少ししか練習しなかったら少ししか上手くならんよ」ということを伝えています。
漸々修学の、良いところと厳しいところが出ていると思います。才能やセンスもあるんだろうとは思いますが、才能があればあるなりに、ないならないなりに、やはり「やった分しか伸びない」のです。
酒飲んでぐーたらしてて技が上手くなれば、そんな楽な話はないですし、また、そんな魅力のない人生もないのだと思います。
非凡のススメ
少林寺拳法では修行の心得で「体力に応じて行うこと」が挙げられています。これは少林寺拳法が苦行ではなく養行であることや、生涯修行として永続するために大切なことです。
でもでもでも!これはいわゆる「一般論」であると私は思っています。
少林寺拳法を通して、人よりなんらか秀でた部分(非凡さ)を持ちたいと思った場合、普通に練習しててその目標は達成できるでしょうか?
天才ならば、普通にやってても非凡な結果を残せるかもしれません。
しかし、自分が非凡でない、普通だと思うのであれば、普通の人間が非凡な結果を残すには、非凡な方法もまた必要と思います。
(自分の才)×(手段)で言うのであれば、「平凡×平凡」は、どう考えても平凡です。
最近門下生でハードな自主練で体を壊す例がありました。安全管理上は注意もしますが、その気持ちはよくわかります。
安全管理に対する備えが足りなかっただけで、自発的にたくさん練習することは良いことです。
同じく修行の心得で「人十度、我百度」というフレーズで「人より上達したいと思えば数とかけろ」という言葉があります。
道院内で、みんなで修行する時はまわりとの調和の中でまろやかな練習は大切です。
と言って「上手くなりたい」という自分の心を殺してしまってはいけません。大練して大成し、どんどん非凡に、すなわち「一目置かれる人間」になっていきましょう!