昨日の練習後


「感覚がわかってきた!」


という門下生に



「きっと気のせいだよ😜」


と喜びに水を差しながら(おい)、漸々修学の話をしました。


「わかる」とは、仰々しくいうならば「悟る」ことと言えるのかと思います。仏教の考え方ではこの「悟り方」に二通りあるそうです。


それが「頓悟」と「漸悟」。


頓悟は(私の理解では)「悟ったか悟ってないか」が明確な世界。悟ってない人と悟れる人とが分かれる。オンとオフの世界です。



悟った瞬間のイメージ


一方で漸悟は徐々に悟る。悟りにレベルがあり、どこまでも続く。


そのどこまでも続く階段を一歩ずつ進んで行くように学ぶ姿を「漸々修学」といい、少林寺拳法ではこの在り方を尊重しています。




「少しずつ学ぶ」という意味であり、少し見方を変えると「終わりはない」とも言えるのかもしれません。


階段を例に取りましたが、もう少し例を引っ張るのであれば、この階段は螺旋階段なのかもしれません。ぐるぐると同じことをやってるようでも高さが違う。


緑帯と黒帯が同じ技を練習していても、それは真に同じ技であってはならない。



もし「俺はもうその技出来るから練習しなくていいんだ」という人がいたら、きっと頓悟の世界に生きているのかと思います。そうならないよう戒めつつ、修行していきたいですね。


冒頭の冷やかしですが、漸悟の世界では「わかった!」と「まだまだわかってなかった(勘違いだった)」を繰り返すのかと思います。壁にぶち当たるのも成長ということですね。一つの壁を乗り越えたようですので、次の壁にぶち当たる日を密かに楽しみにしています🙏


※私見であり本部の公式見解ではありません



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