先週、少林寺拳法の創始者、宗道臣先生の遺徳を偲ぶ、
開祖忌法要を執り行いました。
開祖は1980年5月12日に遷化されたので、
毎年、5月12日に近い参座日に拳士が集い、開祖の偉業を称え感謝するとともに、この道に精進することを改めて心に誓う儀式を執り行います。
ところで、これらの儀式、本当に大事にしていますか?
そして儀式の意味や価値がどこにあるかわかっているでしょうか?
これはなかなか教えられるものではありません。
なぜなら、
少林寺拳法の儀式や日々の修行は、まさに禅、つまり「気づきの場」であり、その真の意味を知るには、積極的に参加し、自分で気づくことが重要だからです。
儀式にしても、一回一回の気づきは薄っぺらいものかもしれません。
しかし、例え薄くても価値があり、それを重ねていくことに意義があり、だからこそ、その機会を大事にしなければならないのです。
儀式や修行は、いわば金箔のようなもの。
金箔は透けるように薄くても、金は金で価値があります。
我々の修行は、その薄い金箔を重ねていき、立体感のあるインゴット(金塊)=金の延べ棒にしていくようなものなのです。
同じ薄さでも、紙ではなくて、金であることが重要で、儀式や稽古が紙っぺらになるか、金箔になるかは、その人の心の持ちようで左右されます!
そして日々の修行の中の金のような価値に気づき、それを積み重ね、ある程度厚みがでてきた人が、昇級昇段考試を受験できるのです。
今回は、先月昇格考試を受験した、A・M拳士(准拳士初段 中学1年生)と、S・F拳士(少拳士二段 大学1年生)の允可状も届いたので、みんなの前で授与いたしました。
これからも、ますます精進し、身心の金箔を一枚一枚積み重ねていって下さい。
おめでとうございました。
本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『106』