先日、あるアーティストのライブ映像を編集した、BS放送の番組を見ました
その番組の中で、アーティスト自身のツアー サイト ブログに書かれたコメントがいくつか紹介されていました
それぞれ簡潔ながら、身に染みる内容だったが、一番印象に残ったのが、次の一文
「千里の馬」という諺がある。
千里を駆けることが出来る馬がいても、
その馬が名馬であることを見抜ける人がいなければ
才能は見出されないまま埋もれてしまう・・・
というような諺なのである。
しかし、俺は長い間思い違いをしていて、
全く違う解釈をしていたのだが、
実はその自分独自の解釈に励まされてきたのだ。
俺の解釈はというと、
生まれつきはダメな駄馬であったとしても
もしも千里を走ったならば
それは「千里の馬」なのだと。
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2011年7月17日 北海道立総合体育センター北海きたえーるにて 浜田省吾
う~ん、少林寺拳法(北禅)の漸々修学の教えに通じる言葉ではありませんか
「千里の馬」は先天的才能、つまり天才
対する達人は後天的
もともと駄馬だとしても、修行を重ね、段階を経て漸次成立していった存在
凡庸な存在だった人が、努力し、歩き続けて、千里=高い境地に達した人のこと
開祖も教範に
「天才も絶無ではないので、頓悟も否定することはできない。しかし大衆は、衆愚と云う言葉があるくらいに、凡庸が多いものである。
(中略)
達磨の伝えた行の中でも、最も漸々修学を必要とする易筋行(拳技の修行)は、いかに素質のある者でも、漸次修行を積み重ねて、階段を上がってゆく以外には上達の方法がないので、北禅の風を継承する金剛禅では、これを主行として身心一如の練成を図っているのである」と書かれている
というわけで、我々は先天的な千里の馬ではなく、後天的な千里の馬を目指していけばいいのではなかろうか?
我孫子道院では、先月2名の新入門者(少年部)を迎え、
今月は30年ぶりのカムバックという初段の拳士が、新たに仲間に加わってくれました
本日も、親子が一組、高校生が一人、見学に来てくれていましたが、
千里の道も一歩から!
見学は、その遠い道程の第一歩です
ぜひ、二歩目、三歩目と歩みを進め、道院の仲間と一緒に、はるか千里先を目指して修行の道を進んでいきましょう
本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『105』