感謝の「謝」は「言」+「射る」 だから…… | 身体からの悟りを目指して ~ 少林寺拳法

身体からの悟りを目指して ~ 少林寺拳法

我孫子道院 道院長のブログ

ちょっと前のハナシですが、1月8日に今年最初の武専に参加し、関係各位に新年のご挨拶をしていたら、いつも一方ならぬご厚情を賜っている市川若宮道院のF谷先生から、「今日、武専が終わってから、市川教区+西船橋道院の新春法会があるんだけど、よかったら一緒にどうぞ」とお誘いが……


たまたまその日は電車で武専会場まで来ていて、しかも武専終了後はこれといった予定がなかったので、二つ返事で飛び入り参加させていただくことにいたしました



身体からの悟りを目指して ~ 少林寺拳法


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(市川若宮道院の専有道場で行われた、市川教区+西船橋道院の新春法会の様子)


ちょうどその前日、我孫子道院でも単独で新春法会 を行っていたのですが、こうして他の道院での新春法会に参加させていただくことで、いろいろいい勉強をさせていただきました

(これまで我孫子道院以外の新春法会に参加した経験は、本山の新春法会のみ、しかも一度きりだったので……)


とくに拳士の代表挨拶は、いいヒントを頂きました(合掌)


そして新春法会のあとは、そのまま市川若宮の専有道場で新年会

あつかましくも、この新年会にも一緒に参加させていただきました


こうしていくつもの道院・支部が集まって、一緒に新年のお祝いげできるのは、まさにF谷先生のご人徳のおかげでしょうが、やっぱり少林寺拳法の良さは、横のつながりにあるということを新年早々再確認することができました


本当に法縁に感謝です


ところで、感謝といえば、少林寺拳法の修行法の中に、「感謝行」というのがあるのはご存じだろうか?

教範(もしくは読本)には、「金剛禅門信徒の修行法」という体系図がのっているので、知らなかった、という人はまずこれを見てほしい


この体系図を見ると、金剛禅修行法は、まず外修(肉体)と内修(精神)に分かれ、それぞれ「積極的」と「消極的」に枝分かれしていく

その内修の「消極的」のひとつに「感謝行」というのがちゃんとある


この感謝行とは、いかなるものか

僧階読本の「感謝行」の項には

『自分に「与えられたもの」すべてに対して、感謝の気持ちを持つ報恩行でもあります。「誰かのおかげで、今の私がある」という認識の上に立ち、親、兄弟姉妹、師匠、友人など、自分の周辺にいて影響を与えてくれる人たちや、身を養ってくれる食べ物とか、住んでいる生活環境などに感謝する「布施」の気持ちをいいます。今、ここに生かされている自分の「いのち」の尊さを知ることが感謝行の原点なのです」

とあります


ある先達の言葉を借りれば、

「身の回りにあるモノ、人、etc.は、全部自分が生きるため、自分を幸せにするために存在してくれていると、考えよ」とのこと。


これはある意味、非常に思い上がったセルフセンタリングな考え方ともいえなくもないが、決して悪い意味での自己中心的思考ではないので、ワタシの座右の銘のひとつにしている


「世界は自分のためにある」

だから毎日感謝する

こんな「感謝行」があてもいいのではなかろうか


「感謝」の「謝」は、「言」+「射る」と書く

つまり「言葉の発射」、言葉を発するという意味なので、感謝の気持ちは言葉や態度で示さなきゃダメだということ


ここでもやはり拳禅一如、行念一致が肝心

感じただけでなく、行動に移し、実践するのが肝要で、しかるがゆえに「行」になるのかと……


ちなみに「外修」と「内修」に枝分かれした「金剛禅修行法」の体系図は、最後に「調和」として統合されています

どこまで行っても調和の思想が、この道の特徴だということですね



本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『103』