昨日の夕方、ワタシの大事な大事な恩人が亡くなられたという連絡があった
大変ご高齢だったにもかかわらず、身心ともに非常にしっかりされた方だったのに、
夏から体調を崩して入院され、おとといから血圧、脈拍数ともに下がってきたというので、急いでお見舞いに行き、昨日も午前中、お見舞いに行ってから仕事に出かけたのだが、それが最後のお別れになってしまった……
死因は病気ではなく、老衰で、11月末ごろから「年内はもたないのでは」といわれていたので、覚悟は出来ていたつもりだったが、いざ訃報に接すると……
帰宅途中、自宅近くの駅のホームにいるときに、家族から連絡をもらったのだが、駅から自宅まで歩いている間に寂しさがこみ上げてきて、涙が頬を……(夜道でよかった)
開祖は
初期に『達磨忌』と呼んでいた行事を、「達磨大師は、往生を遂げたのだからむしろめでたい。隠々滅々とするのではなく、祭ろうではないか」とおっしゃって、『達磨忌』を今日の『達磨祭』という名称に改めたという
ワタシの大恩人の故人も、大往生を遂げたので、現時点では「悲しい」という感情はさほどではないのだが、その代わり、ただただ寂しくて……
開祖曰く
『苦しいときは苦しく、感極まれば感極まる、私はそう生きたい。つらかったら涙をこぼす。泣く。ただし泣いてもくじけない。これでいいと思う』
きっと「お別れの会」では、涙が止まらなくなるだろうな
「●●さん、いまのワタシがあるのは、あなたのおかげです。長い間本当にありがとうございました。合掌」