海外協力の現場を離れて約1年半、国内の生活困窮者の方の支援施設で生活支援員として働かせてもらいました。
その間、17人の方を受け持ち、それぞれの人生の一端に触れさせていただきました。
短い方は約2週間、長い方は1年以上、入所からほぼ毎日お顔を見て言葉を交わし、新たな暮らしに向かわれるまでのお手伝いを、私は自分に与えられた役割として勤めました。
同僚、上司、会社、行政や民間の支援機関、専門職、地域の方たちとの交流を通し、はじめて知ることが本当にたくさんありました。
働きながら心理学と社会福祉を通信大学で学んでいたので、先生方や学ぶ仲間から教わったことを通して、別の視点から自分のいる場や体験を眺めることができたように思います。
まあ、福祉施設での仕事を通し、様々な感情や葛藤に遭遇しました。
「所詮仕事の中でのことだ」と自分の気持ちを整理しようとするのですが、時には、職場で起きていることが、自分のこれまでの人生とリンクして、深く強く揺さぶられる時がありました。
40代も終わりに差し掛かり、大体のことは受け止め、流せてしまう気でいたのですが、そんな自分でも、その揺られ方にとまどうことが多かったのです。
「感情」の扱いは、なんとも厄介です。
とにかく自分を保つこと、立っていること、息をすること、その日一日を生きのびることだけに、必死な時もありました。
帰宅し車を降り、駐車場から玄関ドアまでの1、2分の距離を、「右、左、右・・・」とつぶやいて、足を一歩一歩前に出して、ようやく玄関にたどり着く日もありました。
でも、周りからはそんな風には見えていなかっただろうと思います。
だんだん分かってきたことなのですが、私は、自分の感情に疎い。というのか、これもだんだん思い出してきたことなのですが、感情に気付かないようにすることで自分を保ち、生き延びてきたようでもあるのです。
気持ちを持ったとしても、目の前の、怒りで身の震えるような現実は変わらないという状況だったから、かもしれません。
どうすることもできない「気持ち」には意味がないとし、その存在を自分で認めることも、ましてやそれを人に分かってもらおうと期待することも、どこかあきらめてきてしまったようなところがあります。これまで一緒に歩んでくれた人たちには、なんとも失礼な話かもしれません。(ごめんなさい)
そんな私の気持ちに対する鈍感ぶりに、やや変だと気付きつつ、心配しながら見守り、ここぞと思ったときに声をかけてくれる人もいました。家族、友人、支援者、縁あってつながって下さる方。私はそういう人に、心、というか、自分のいのちを救われてきたのではないかと、今は思います。
手を差し伸べてくれた人に対し、それに気付かず、時には気付いたとしても、払いのけようとしたこともあって、今思うと恥ずかしい。
素直に助けて、ちょっと聞いてよ~と、表現できなかったのですね。
やり場のない、気持ちの整理に苦しむ状態が1年程積み重なった頃、ある日、おどおどしている自分に気付きました。
やることなすこと考えること全部に、不安がつきまとうのです。
これまで、新しい環境にも仕事にも挑戦し、会いたい人には会いに行き、前に前に進んできた、そうしてきた自分は、厚かましい程気丈な方だと思っていたのですが、その自分が、まさかこんなに脆くくずれそうになるとは。
おどおどして不安でいっぱいになっている、そんな自分に気づいた時のショックは、もしかしたら一番自分をうろたえさせたことだったかもしれません。
ずっと頑張ってきた人が、突然うつ病やパニック障害などの病に襲われた時、もしかしたらこれと似たような気持ちになるのかもしれないと、思いました。
こうした体験をきっかけに、私は遅まきながら徐々に「気持ち」「感情」というものの重みに気付くことになりました。
過去の体験から刻み込まれた傷は、たとえ自分の心が忘れようとしても、身体が記憶している。
生き延びるためにしてきたことが、自分自身を苦しめることがある。
今、迷いなく「トラウマインフォームドケア」に向かう自分がいる背景には、これを体験を通して知ったことが、大きく影響しています。
自分の感情を受け止める
自分の中に自然に生まれる素直な気持ちや状態を、抹殺しないということは、大げさではなく、自分のいのちそのものを大切にすることだと思います。
自分を受け止めることは、自分を甘やかすのとは違います。
自分を知ることで、よりしなやかに、強くなる道が広がります。現実を見ないのではなく、現実を見て、対応できるようになるので。
自分が大切にしたい人、目の前の助けたいと願う人を、真の意味で大切にしたいなら、自分を受け止めることからスタートしましょう。
ちょっと前までの自分は、「自分を大切にね」などという文言を見ると、ため息とちょっと怒りにも似た気持ちを感じていました。
「したいのはやまやま。分かっているけどできないのよ!」と、心の中で叫んでいたように思います。
自分を大切にする環境を作れない自分に対して、苛立ちを感じていたようにも思います。
でも、大した時間も、手間もお金もかけないで、できるのです。気持ちを、自分を、大事にすることは。
トラウマインフォームドケアの視点を持つことは、自分を大事にすること、そのもの。
目の前の問題をキレイに解決してくれるわけではぜんぜんなく、むしろ、知らなかった、隠れていた問題に気づかされることがあるかもしれません。
でも、不安が減ります。
不安が減るから、ありのままを見ようという勇気が出てきます。
そうすると、目の前に、ないと思っていた、別のもっといい道が、おぼろげながら見えてきます。
半心半疑で歩き出してみた。それがどんどん確かな姿となって現れ、その先に先に道が続いている。
人生50年目にして小さな一歩を踏み出した私が、そのように実感しています。
今、現実と自分の気持ちの間で折り合いがつかずもがいている人がいたら、伝えます。
「答えは内にもあるかもよ」と。
トラウマインフォームドケアを学んで伝えていくことが、未熟な私にいろんなことを教えてくれた、フィリピンの子どもたち、女性たち、出会ったいろんな人たちへの恩返しにつながらないかなと、むしのいいことを考えております。