土曜の朝、パヤタスの住民組織のリーダーから急に呼ばれて
パヤタスでミーティングに行ってきました。
今日こそオフィスでたまった仕事をさあやるぞ~と、
思っていたのですが、パヤタス住民の暮らしを左右する
そして、リカセンターやわかばセンターの今後をも左右する
地域でもっとも大きな問題、立ち退きに関することですから、
行かないわけにはいきません。
ミレットさん、ビッキーさんにも同行してもらい、3人で
指定された場所に向かいました。
会議の場所は、住民リーダーの家の軒先。
リーダー達の話では
今月半ば、パヤタスの5つの住民組織が集まって、
大統領府、ケソン市、環境天然資源省、マニラ首都圏開発庁等に、
次の要望を伝える手紙を出したとか。
要求はこの3点です。
1.ゴミ山の閉鎖とゴミの撤去
2.立ち退きの停止
3.住民への居住権
まさに直球のアピールレター。
各関係機関に出して受領されたことを示す、印鑑とサイン入りの書類。
このレターを提出したのは、立ち退きの通告を受けた
ごみ山の際に住むPhase2の住民、約1万人の代表です。
住民たちは次の水曜日、大統領を含む国や市の責任者を招待して
ミーティングを計画しています。長年パヤタスで活動をしてきた私たちも
オブザーバーとして参加してほしいと招待を受けました。
1988年から1989年、約束の土地、希望の土地(Lupang Pangako)として、
当時の市長から、首都圏内の開発のために立ち退きにあった人たちが、
ここに連れてこられました。
この人たちは、ごみ山を頼りに流れてきた人ではなく
一生住んでいい場所として、自治体にあてがわれてきた人です。
スカベンジャーとしてごみ山から収入を得る人にとって、
ゴミ山は大事な仕事場。
しかしこんな風に、ゴミ山をすぐにでも閉鎖してほしいと願っている人もいます。
市側は「危険地域」であることを理由に、去年から住民に
立ち退きをすすめています。
私たちの知り合いもいくばくかの補償金を手にして、立ち退いていきました。
立ち退いた場所はさら地にされ、新しいゴミが積み上げられていきてます。
そしてまた山の際にある居住区を圧迫し、危険を理由に立ち退きが行われます。
コミュニティーの奥へ奥へとゴミ山が浸食しています。
1998年、当時のエストラーダ大統領は閉鎖を決定し公表しました。
なのにごみは捨て続けられました。
2000年に崩落事故が起き、公式でも300名、実際はそれ以上の500名以上の
人が亡くなりました。
なのにごみは捨て続けられ、今も拡張を続けています。
住民に対する約束は誰も守ってくれていません。
住民は、気付いています。
ゴミ山を拡大していくことの方が自分たちの居住権や
福祉よりも優先されることを。
そして、もう誰の助けも待っていられないほどぎりぎりの時が
きたことを。
住民たちが立ち上がった直球勝負の会議招集です。
これに対し、どういう対応が帰ってくるのか。
水曜日は、5月の選挙前のパフォーマンスに終わらず、せめて誠実な
対応がかえってきてほしいものだと思います。









