つい最近、今年3月に、命を全うされた、ある大学の先生のことを知りました。
秋田にある国際教養大学の理事長兼学長をされていた中嶋嶺雄先生です。
表題の言葉は、その中嶋先生の大学葬儀で読まれた弔辞の表題です。
私は一度もお目にかかったことがなく、ご存命中その大業についても全く
知ることもなく、亡くなられた後7か月以上も後になって、ひょんなご縁で、
弔辞と出会い、弔辞から先生のこと、先生を慕う方たちの思いを知りました。
不思議なご縁です。
「温かい心を持った改革者」
これを書かれたのは、中嶋先生の教え子であり、現在同大学の教授で
図書館長をされている勝又美智雄先生です。
長いのですが、でも抜粋しては伝わらないと思うので、ほぼ全文そのままの形で
掲載させていただきます。
弔辞で故人のことを称えるのはよくあること。でも、そういうことを超えて
胸に迫るものがありました。
何かの仕事に、既に全力で打ち込んでらっしゃる方、
打ち込みたいと思っているけれど、悩みも多い方、
人を育てること、育てる仕事に関心のある方
周りにいい大人がいないと嘆いている方
・・・
これを読んだら、もしかしたら、ちょっと勇気づけられるかもしれません。
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「温かい心を持った改革者」
弔辞 中嶋嶺雄先生
中嶋先生が精魂こめて築き上げてきた国際教養大学の教職員を代表して、謹んで哀悼の意を表します。
日本に学者・研究者として優れた人はたくさんいます。でもその学問的な研究が国際的に第1級と高く評価される人はそうたくさんはいません。先生は時代の風潮に安易に流されず、常に定説や通説を疑うことから学問研究が始まる、と確信して冷静かつ客観的に比較分析した結果、独創的な現代中国研究を展開しました。
日本の大学に教育者として優れた人はたくさんいます。でも卒論ゼミを30年間続けて270名のゼミ生を親身になって指導し、その成果として論文集を27冊も出版してきた教師は、きわめて少ないでしょう。学生に対する愛情は常に変わることなく、半世紀に渡って先生ほどいつでも誰でも気軽に学生の個別相談を受け、助言してきた人は、まれです。
日本の大学の経営者として優れた人はたくさんいます。しかし、日本にそれまで存在しなかった全く新しい大学をゼロからつくりあげ、10年足らずの間に日本国内でも世界的にも注目される大学に育てることのできた人は、戦後60年以上経つ中で、私の知る限り先生以外にいません。その業績は、幕末・明治維新の激動期に慶応大学をつくった福沢諭吉、同志社をつくった新島襄、津田塾をつくった津田梅子など大学教育の先覚者と並ぶ功績です。彼らが日本の近代化に大きく貢献したのに対し、先生はまさに現代日本の高等教育の国際化に向けて新しい道のりを切り開いた開拓者としてきわめて重要な貢献をしてきたのです。
私は東京外語大学1年の時に先生に出会ってから丸45年、最も尊敬する恩師と仰いできました。大学紛争のときには一緒に大学改革プランを練り、卒業後、新聞記者となってからも先生とはほぼ定期的に年に何回も会い、そのたびに先生から大学の在り方などについて聞いてきました。1990年にアメリカ特派員から戻ると間もなく東京外大で非常勤講師をやるように頼まれ、先生が学長を辞める2002年まで10年間、毎週金曜日に外大でアメリカ事情、日米関係論、ジャーナリズム論などを英語で講義しました。そのころ先生は国際化に向けての大学改革の必要性を強調して、国立大学ではそれができないことを残念がっていました。その大学改革への強い思いは、国際教養大学をつくることで行かされたのです。
まず、この大学づくりに当たっては、「国際的に活躍できる人材を育てるにはどういう教育内容、どういう教育体制が必要か」を2002年から丸2年かけて検討しました。いろいろな分野で国際的に活躍してきた人たちが、先生の意図に賛同して集まり、自由に、しかも徹底的に意見を交わしてまとめました。私も委員の一人として、ほぼ全部の会議に出席していましたが、参加した人達の情熱溢れる議論を今も鮮明に覚えています。
そうした議論の結果、教職員は3年任期で年俸制にして世界中から公募するという、日本ではまさに前例のない教職員採用方式を導入しました。日本のほとんどの大学では教員が上で、職員が下という上下関係を当然としてきましたが、AIUでは教員と職員は対等であり、まさに「車の両輪」として学生のために協力し合うという体制をつくりました。
そこで開学後は学長と私達教職員が手分けして、秋田県内はもちろん、全国各地で「秋田に日本一の理想的な大学をつくります」と講演し、PRしてきました。当時は聴衆の多くが半信半疑、というよりも「ほら話」と冷ややかに受け止めていました。
それが5年もすると、各地で「先生の言ったとおりになってきましたね」と声をかけてもらえるようになりました。正直に言って、これは想定の範囲外でした。その評価を高める原動力になったのが学長です。大学の顔・象徴として先生が精力的に説得して回り、マスコミにも頻繁に登場しては語り、原稿を書いてきたおかげです。加えて、その薫陶を受けた学生たちが猛烈に勉強し、いわゆる一流企業、有名企業に多数が合格するだけでなく、果敢にベンチャービジネスに取り組むなど、幾つもの厳しいハードルを乗り越えてきたことが注目されるようになったのです。それを先生はことのほか、喜んでいましたが、同時にAIUが偏差値が高く、テストの成績が良いことだけを評価する、いわゆる「ミニ東大」化することを警戒していました。理想の大学は、個性豊かな学生たちがお互いの価値観の違い、背景となる文化の違いを尊重し合う「多文化共生空間」であるべきだという思いからでした。
先生は、不可能とも言える夢を追う理想主義者であり、現実を客観的に、冷静に判断しながら、夢を実現する手段、方法を研究し、果敢に実行していく現実主義者でもありました。先生は理想を声高に唱えるだけで、現実を改革しない人を信頼しませんでした。理想的な姿は何かを常に考え、自ら「前例をつくる」気概を持って改革し続ける―そうした理想主義と現実主義を絶妙のバランスで両立させたのが先生でした。
AIUはそうした先生の夢、信念の結晶です。学長として何事もゆるがせにせず、公式行事で話す祝辞、スピーチも入念に手を入れる。「獅子は小さな獲物を取るにも全力で向かう」ということわざがありますが、まさに何事も手を抜かず、全力で向かう「獅子」でした。文字通り「獅子奮迅」の活躍でした。
開学5周年には詳細な大学の歴史を自ら執筆し、さらに5周年記念事業として目標1億円の
募金活動を始めました。その際、まず先生が自ら2千万円を寄付して関係者に呼びかけるだけでなく、秋田県内はもちろん、全国規模の有力企業、団体にも先生自ら出向いて頭を下げて回り、目標額をほぼ達成しました。そこで集まった募金は本学に通う日本人学生、留学生たちへの新たな奨学金として、あるいは施設整備費として有効に使われました。
先生は恵まれた体力と精神力をもって毎年8~10回は海外出張して世界中に提携大学を増やしました。これには先生がアジア太平洋地域の各国の有力大学が加盟するUMAP(大学間単位互換連合組織)の国際事務総長を長く務めていた実績から、各大学が「中嶋先生のつくった大学なら信用できる」とAIUとの教育交流、交換学生制度を好意的に受け入れてくれたことが大きく影響しています。
こうした先生の教育にかける情熱は、先生の深い人間観から来ています。それは、人間には100%完璧な人などいない。顔も能力も違えば、欠点も短所もいっぱいある、だが、どんな人にも良いところがある、それを見つけて育ててやれば、優れた人になるという楽観的な人間観です。人を単一のものさしで測らず、何より個性を尊重する。何より多様性を尊重する。だからこそ、どんな人に対しても、常に優しく接する。決して愚痴を言わないし、人の悪口は言わない。逆に自分に対してはとても厳しく、甘やかさない。頼まれたことは、決して人の期待を裏切らないように最善を尽くして実行する人でした。私はこれほど人との約束を守り、信義を重んじる人は見たことがありません。だからこそ、周囲からは絶対の信頼を得て、「真に品格のある紳士」と尊敬されてきました。
先生の人生観、人生哲学を要約すると、自分の仕事を「使命」として最善を尽くすべきだ、自分の目標とする理想を追求して常に妥協することなく、果敢に挑戦すべきだ、というものです。その生き方は「決してあきらめない」という揺るがぬ信念に支えられていました。常に笑顔を絶やさず、温厚で、信念を貫き通す情熱の人でした。その生き方を一言でいえば「温かい心を持った改革者」です。
先月18日夜、東京の自宅での家族葬に加わらせてもらいました。そのとき、棺の中の顔はとても穏やかで、何の苦痛もなく、静かに眠るがごとくでした。この2年ほど、背中が少しやせて体重が減り、声がかすれるようになっていました。心配して少し仕事を減らすように、休むように、と折あるごとに声をかけましたが、いつも「大丈夫だよ。君のほうこそ体調に気をつけてね」と笑っていました。先生は仕事を愛し、人生を人の3倍も5倍も濃密に生きてきました。それは「過労死」以外の何ものでもありません。しかも、それが先生の生きる美学でした。もって瞑すべし、です。
学者、教育者、大学経営者の3拍子そろって傑出した先生は、私たちの誇りです。このAIUで、同じ理想を共有して一緒に働くことのできた私たちは本当に幸せでした。開学から10年から12年は創業期です。その区切りの10周年を目前にして亡くなられたのは、まさに痛恨の極みですが、これも運命か、と受け入れるしかありません。残された私たちは、先生の理想、先生の遺志をしっかりと受け継ぎ、「創業」の苦労と、「守成」の苦労の両方を引き受けていきます。それが私たちに課せられた責務であり、私たちの「使命」だと考えています。どうか、安らかに、しかし、しっかりと見守っていてください。
2013年3月17日
勝又美智雄
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それにしても、「書く」という人間の行為は、すごいことだと、改めて思います。
当然のことのようですが、書き残されることによって、本人がこの世から消えてしまった後でも、時間を超えて、過去、未来の人と、つながることができるんですね。
生き方で、伝えて下さった中嶋先生。
それを弔辞で伝えて下さった勝又先生
お二人によって、また「温かい心を持った改革者」の心が受け継がれ、
世に出ていくのかもしれません。