なんとも寂しいタイトルで、すみません。
25日、可愛がってもらった祖母が他界しました。
享年93歳。
この日の夜は、福岡で講演のお仕事をいただいていたので
翌日実家へ里帰り。
なんとか納棺に間に合い、家から葬儀場へ見送ることができました。
祖母との思い出は数々ありますが、その中でもなぜかいつも
思い出すのは、私が高校生のとき、食事の後の団欒のときにした会話です。
本当に何気ない、ある普通の日の夜の会話。
その頃のわたしは、進路のことや友達との人間関係のことでなんとなく
悩みや不安が多く(今考えればほとんど悩まなくていいことで悩んでいたのですが)、
もやもやと憂鬱な気持ちでいました。でも、目の前の、年老いたあちこち痛いと言っている
おばあちゃんよりはましかな・・・なんて思っていた、鼻持ちならない女子高生でした。
あたたかくて身体の割には大きなおばあちゃんの手を、さすったり、つまんだり
つまんでもなかなかもどらない手のしわを面白がったりしながら、
ポツリ。
私
「おばあちゃん、若返ってあの日に戻りたい、なんてこと思わん?」
祖母
「ない」
少し考えるか、「できるなら若返りたい」というような返事を想像していたので
力強く、しかも素早い返事が戻ってきて、軽い衝撃でした。
それからしばらく考えて・・・また
「うーん、やっぱり若返らんでもいいわ。」
という、熟考の末の返事。
福井大空襲、福井大地震を体験し、20代の初めに戦争で祖父をなくし、
ちょいと一筋縄ではいかない姑とずっと同居し、母を育て、店を守り、
あの時代を生きた他の多くの女性たちと同じように苦労をした祖母。
幸せだったこと、楽しかったことよりも、辛いこと、大変だったことの方が
多かったから、もうそんな若い日々を繰り返したくないのかな・・・と想像し
私は、祖母の人生を少し憐れだと思いました。
それから時を経、その時の自分よりも、その時の祖母の年齢の方にどんどん近くなっていく私は、
年と共に、その質問を自分に問うようになりました。
そして今、あの時かわいそうだと感じたことは、間違いじゃなかったかと思うようになっています。
祖母は多分、その時その時生きるのに夢中で、あっという間に年老いたのかな、と。
精一杯生きたから、もうへとへとで、もう一度それをやり直したいなんて思わないよ、という
意味だったのかな、と。
祖母から、苦労話を聞かされた記憶があまりありません。
聞いたら答えてくれるけれど、進んでぺらぺら話す方ではない
どちらかというと静かな人。というか、マイペースな人でした。
友達はいるけれど、いつも連絡を取り合っているわけではなく、
いっしょにいるわけでもなく、別に人と一緒なことをしていなくても
不安に思わない、家族の中でも、孤高を保っているような、
そんな女性でした。
一昨年の年末、お風呂から自力で立てなくなった日から寝付くことになって
それから、人がこの世とお別れするまでの一部始終を自分の姿で
見せてくれました。
さくらの季節にさようならです。
生きているのは、ほんの一瞬。
命短し恋せよ乙女です。
今日も締め切り間際、やり残しの仕事を横目に、ぐちぐち言っている私ですが、
とりあえず、今、私に与えられた時間を、この散らかった書類の海も含め
めいいっぱい味わって楽しんでいこうじゃないかと思う
もとい、思おうと努めている、春の宵です。
おばあちゃん、またね。
小川恵美子











