10月3日にお邪魔した東京の府中第四中学校の生徒さんたち約200名から、

授業の感想文が届きました。


「フィリピンに興味がわいてきた」

「フィリピンに行ってみたくなった」


想像以上にこの感想が多く、喜んでいますニコニコ

数年後、現場で府中四中の子たちと対面することがあったりして。


わくわくします。


9月11日、ケソン市にある Lila Pilipinaのオフィスを

訪問しました。


前回2年前に来た時、証言を聞かせてくれたおばあちゃんは

おととし他界。写真が飾られていました。



同志社大学のみんなといっしょに

この話を始めて聞いた

パヤタスの大学生C君 18歳。


ロラの証言、その後、今の社会の動きについて

危惧していることを聞いて


これまで僕は知らなかった。。。と

素直に語っていました。


「国が主導で行った性的奴隷-慰安婦。それは事実。

それに対し認める発言をしたかと思えば、今は

それはあったかもしれない・・・というように、一方で認めないような

発言があったり、使い分けている。

そんなことをいう国を、信じられますか?」


「日本が9条をなくそうとする動きは、私たちにとって恐怖なんです」


と言われました。


ロラたちにとっても、フィリピンの人たちにとっても

特別な意味を持つ、9条です。



先月フィリピンの最高裁で、第2次世界大戦中、旧日本軍から性的暴行を受けた

比人女性の支援団体が、日本政府の公式謝罪と賠償を引き出すよう

比政府に支援を求めていた裁判の結果が出ました。


最高裁は、再考申し立てを棄却。


国連も日本軍の性奴隷犯罪を認めていたのですが、

自国の司法機関が認めないというのには

驚き、残念な思いがしました。


3年前、慰安婦だったおばあちゃんたち(ロラ)を支援する団体

Lolas house を訪問したとき

聞いた言葉が、思い出されます。


・・・


私たちが戦う理由は

自分たちの尊厳を取戻したいから。


私たちの身に起こったことは、過去のことじゃない。

現在も世界のどこかで同様のことは行われているし、

将来、あなたやあなたの娘たちの身に起こるかもしれない。


戦争によって何が起きたかを知ってほしい。

伝えてほしい。


もうあんな目に誰にもあってほしくない。


・・・


私はレイプされました、何人も何人もの男性に性奴隷として扱われました。

それを公にするのは、どんなに勇気がいったか。

どんなに強い覚悟が必要だったか。


家族にどんな思いをさせたか。

周囲からどんな目を向けられたか。


抗議行動をすることで、どんな反応を、同じフィリピン人から

日本人から、受けたか。


何年も、何十年も。


国の思惑はさておき、他の人がどう思うかはさておき、


私個人は、おばあちゃんたちの話を直近に聞いたとき、

彼女たちが一番求めていることは、補償金ではなく

「誠実な謝罪」だと、強く感じました。


名乗りをあげ、大きな力と戦うこと、そして、戦い続けることは

決してお金のためにできることではありません。


「悪いことをした、申し訳ない」


この一言が、少女のような年齢だった時からずっと彼女たちが背負った魂の痛みを

癒し救ったかもしれません。


慰安婦となった人たちに、公的な謝罪をすることで、日本政府が失うものは

何なのだろう・・・

日本政府にそれをさせようと促そうとしたときに、フィリピン政府が失うものは

何なのだろう・・・


それを、考えています。

今度は、慰安婦の存在や主張を認めない側の意見に、耳を傾けてみようと思います。



今はただ、最高裁の棄却の結果を受け取ったロラたちの落胆、失望を想像し、

忘れずにいなきゃと思います。


今日は、フィリピンは祝日。

現大統領の父、ベニグノ・アキノ氏が凶弾に倒れた命日です。


鈴木静雄先生のフィリピンの民衆運動の歴史についての本を読んで

なぜ今も、こんなにもこの国の人に支持をされているか、

少し分かった気がしました。


父の理想は、ノイノイさんに受け継がれているのか・・・


英雄の2世は大変だと思うのですが、

周囲の抵抗勢力に負けず

この国の殺人的格差を正すため

父を超える、母を超える

改革を、やりきってほしいものです。


でも改革は、国のリーダーが熱心でも、そして国内弱者からの熱烈な支持を

受けたとしても、国際社会、とりわけ経済的に関係の深い周辺国からの

指示や協力がないと達成できない、

というか

むしろ妨害が入って推進できないなんてことも、あるようです。


「お前たち、がんばれよ」


じゃなくて、

私たちも、考えて、

自分たちの国からの動きを見てないと

いけないんですよね。



今日は、パヤタスに桜美林大学の学生さんたちが

来て下さいました。


夕方振り返りをするということで、滞在先のアテネオ大学まで

出かけてきました。




みなさんの感想を聞いていて

20年前、はじめてスタディーツアーでフィリピンに来たときの自分の姿が

オーバーラップしました。


その時の私は、24歳の社会人でしたが、私の方が、今のみなさんより、

もっとずっと、目の前の現実に驚いて、混乱して、言葉にまとめられず、

子どもでした。


心に留まった言葉をノートに書き留めていったら

いつのまにかびっしり埋まってしまいました。

振り返りで、どんなインプットができるかな・・・

なんて気持ちで行ったらとんだ勘違い。

気付かせていただくことが多かったです。


思えば、はじめてマニラに来て道路沿いに並ぶ不法滞在の家並みを見て

言葉を失ったあの日から、長いスタディーツアーを

まだ続けているような気持ちもします。


自分達ではどうしようもない大きな問題の中で

生きるということが、どういうことなのか

そしてその中でも、自分達で変えられることを見つけ取り組むことや

価値を共有する人とつながりを持つことの大事さや

そこにある希望を

教えてもらっています。



カシグラハン地区で子どもセンターを改築することとなり、
候補地の売買交渉も佳境に入ってきました。


15日は、交渉相手とともにMakati市の顧問弁護士の
事務所に行き、権利書の確認、手続きの確認をしてきました。
不動産の売買に関わるのは今回で3度目になりますが
毎回緊張します。


今回の対象地は、カシグラハン再定住地の中にあります。


カシグラハン地区は、1999年エストラーダ大統領の時代、
パッシグ川流域の開発で立ち退きを迫られた人たちのための
再定住地として造成・開発された町です。

当時は、灰色の長屋が一帯に並ぶだけの、生活インフラは皆無の

殺風景な場所でした。


その内の一角が、2000年7月に起きたパヤタスのゴミ山の
崩落事故の被災者のためにも割り当てられ、パヤタスから
移転した住民もここに住んでいます。


様々な場所から集まった住民の数は、今や約45,000人。
まだ拡大を続けています。


造成から15年が経過し、当初住むことを割り当てられた住民から
別の住民に売られ、そのまた次に売られ…と、多くは転売されて
います。建物とそこに住む居住権の転売です。
今回の対象地も、私達で4件目となります。


貧困層の人たちのための再定住地なのに、こんなことが
起きるのは矛盾しているのですが、国家住宅局もそれを
見逃しています。


ちなみに再定住地であったとしても、家賃を払わないと、
住民はまた強制立ち退きの憂き目に遭います。
一家族分、約20平米一間。
この狭い家を自分のものにするためには、前述の居住権代に加え
165,000ペソ(約40万円)を国家住宅局に支払わなくてはいけません。
この額は、奨学金を提供している家庭の平均収入の
3年分超に相当します。


さて、交渉にあたり最も緊張するのは、リスクの見極めです。

物件の多くは、最初のオーナーが、国家住宅局に完済しないまま
転売されているものばかり。
歴代のオーナーに連絡がとれるか、支払いはいつまで、
いくら支払われたのか、過去の資料は全て完璧に補完されているのか等々
確認していきます。


リスクが大きすぎる場合は手を引かざるをえませんが、
かといって、リスクゼロで交渉を進めることもできません。

見極めを間違えないよう、弁護士の言うことを聞きもらさないよう
書き留めながらの会議です。


開発、立ち退き、再定住地…


それにしても、都市部の貧困地区で活動していると、本当によくこの問題に
遭遇します。

パヤタスでも、カシグラハンでも。

日常的すぎて、もう麻痺してしまいそうになるくらいです。

こんなに多くの人たちが、安心して暮らす場がないのかと、
唖然とさせられます。


「マニラ首都圏の都市貧困層の住民は、平均、一生に3回立ち退きに遭う…」

そんなことを、以前フィリピン人の友人が教えてくれました。


住まいと仕事
この二つが確保されていると、人生の不安の大部分が取り除かれるように思います。

住まいと仕事
これがすべての人に行き届き
全ての「開発」が、「その地域に暮らす人たちのための開発」になったら


生きやすくなるんでしょうね、私たちの社会。

現地体験プログラムに参加して下さった方からの、

嬉しい感想。


「期待以上」


今日はいい日です。


ソルト・パヤタスの現地体験プログラムは、現地の住民の方たちに

ガイドや説明をしてもらいながら、暮らしをそのまま参加者の方 に

体験してもらうというプログラムです。


体験の後1日のおしまいに、実際に体験されて感じた素直な思いや

新たに生まれた疑問、来られる前に想像していたこととのギャップ、

その他うまく言えない、もやもやしたいろ んな思いを、住民、現地スタッフ、

日本人スタッフとで共有する時間があります。


参加者、住民、NGOスタッフの正直キャッ チボールの時間です。


1年前までの「スタディーツアー」は、参加者の方たちに、

何かを現地で学んでもらおう!というツアーでした。


当時は、何をどんな風に学んでもらうか…何を伝えなくてはいけないか…

いつもそんな風に考えていました。

それが当たり前のように思っていました。

だからいつもプログラムの最後に、アピールがありました。


でも、やっていくうちだんだん自分の言葉と心と現実の間に隙間があるように

思えてきました。

ポイントからズレているような、どこか無理やり感のあるような、

しっくりこない違和感です。


現実を見、そこから行動を起こす人を増やす、理解者を増やす…

そんなのは、こちら側の自分勝手な都合。

参加者の方がわざわざ現地まで来られて、そうまでして知りたいこと、

聞きたいこと、やりたいことは何か、現地の人は何を見てもらいたいのか、

NGO側が学んでもらいたいと言っていることと、参加される人の期待すること、

現地の人が見せたい姿にギャ ップがないのか、

そもそも現地の人にもっと直接的に役立つ形はないのか、


言葉と真意、

参加者の人の気持ち、現地の人の気持ち、自分の気持ち、

団体が目指すもの、実際の日々の活動、

日本から来る人の問題意識と住民の問題意識、

本音と建て前、

住民の中にも様々な考えや立場のいる現実…


微妙 なギャップを見過ごし、あるいは見て見ぬふりをして

表面だけ繕ってないか…。


スタディーツアーを疑って、見直して、修正して、

今の形になりました。


「期待以上です」の後

「また来たいです」と続き、


住民一同、満面の笑み。




三方良しに、ちょっと近づいた気がして

今日はいい日でした。



今日のガソリン代、1ℓ約120円。
ガソリン代、フィリピンでもそこそこ高いでしょ。



ガソリン代が上がると、こちらのタクシーの運転手さんも大変です。


大抵の運転手さんは、車の持ち主ではありません。
よく聞くのは24時間交代で、1週間に3日間車を借りて運転手として働くというケースです。
24時間の借り賃は、大体1500ペソ。1日に使うガソリン代は全部自分持ちで約2000~3000ペソ。
稼ぎのいい日悪い日にかかわらず、3500~4500ペソは飛んでいきます。
近距離のお客さんなら4,50人は乗せないと赤字です。


時々メーターに小細工をする運転手や、おつりを当然のように返してくれない運転手に会うと、
残念な気持ちになりますが、1ペソでも多く稼ぎたい気持ちがそうさせてしまうのかもしれないなと
思います。


でもごくたまに、マニラでもセンタボまでおつりを返してくれようとする運転手さんに出会います。
こういう人に幸せになってほしいなあ…と心から思います。

パヤタスのパヤタスのゴミ山がまた一段と高くなりました。





ゴミ山の拡張のための立退きの動きは一時止まっていましたが、

7月に入り再び進み始めました。


匂いも大分強くなりました。

センターに飛んでくるハエの数も

一段と増えています。


ゴミ山のもっとも近くに住み

立退かせ方が不当だと抗議し、

拳銃の弾を送りつけられる脅しにもひるまず、

生活水を止められたり、

通り道にフェンスを立てられたり、

動きを監視されるような嫌がらせを受けていた

ラウディットさん一家。


ラウディットさんの家の周囲に、1カ月前は10数軒家が残っていましたが、

それもがもう4軒になりました。

そして、フェンスが張られ、先週から住民以外は

足を踏み入れられなくなりました。


外部からの人間が足を踏み入れられなくしています。

それを許した監視人を解雇する、という圧力を

かけてきました。

監視人もパヤタスの住民です。


ここ1年半、立ち退きの動きを見てきました。


確信したのは、この3つの、行政の姿勢です。

*開発計画に関する情報を、一切住民に開示しない、

*住民に住民を見張らせる、

*住民を団結させない、むしろ敵対させる


この国が、焼却ではなく埋め立てという処分方法をとる限り

ゴミ山の拡張は避けられず、行政の決定にしたがって

住民が立ち退かなくてはいけないという結果になるのは、

どうしようもない、あきらめなくてはいけないことかもしれません。


でも、そのやり方、進め方は、繰り返さないでほしい。


ここの人たちにするのと同じことを

お金持ちの町、マカティーでは絶対やらないでしょう。

立場の弱い人たちを、目の届かない場所に追いやり

正当な訴えも恐怖でできないようにする

力のない人が唯一できる、団結するということを阻む

外部からの関心や支援から断絶させることは。


目の触れない場所に追いやられた、Lさんたち一家のことが

心配です。


外部者だから、外国人だからできる、

それが何か考えています。

敵対ではなく対話で、抗議ではなく要望で、

個でなく多様なグループで、できることを。



現地でボランティアをしたいという方、

現地で活動をするNGOの人から話しを訊きたいという方から

フェイスブックやEメールで、連絡をもらうことが増えました。


問合せを受けて、嬉しいなと思っています。


でも、実際はなかなかお一人お一人とじっくり話をする時間が作れず

ごめんなさい。


共感してもらえたらいいなと思うことは、時々このブログで書いていきます。

「なーんだ、当たり前のことじゃない」ということの方が、多いと思いますが汗


今日はフィールドワークについて。


現場に直接足を踏み入れて、現地の人としゃべり、動く

私は、これをしています。

現場では、誰と挨拶をし、誰と笑いあい、誰の意見に耳を傾けているか、

細かな行為一つ一つが見られているな~、と感じます。


現地に行くことは、大なり小なり住民に影響を与えることです。

私は、住民に良い影響も、悪い影響も持ち込んでいます。

良いことばかりであればいいのですが、きっと自分の意図しない、

予想できないところで、ふとした言葉や行為が、誤解を生んだり

羨望やねたみや過大な期待の種を作っている、

ということがあったと思います。

限りなく最小化するための努力と工夫をしたとしても、

そこに存在する以上ゼロにはできない、

それを自覚して動くこと、それがフィールドワークの前提だと考えます。


そして私たちも、現地の人たちから、影響を受けています。


相手に影響を与えているという事実は、程度の差はありますが、

長年かかわってきた人でも、

数日前に活動を始めたばかりのボランティアの人でも、

学ばせていただくという謙虚な気持ちの人でも、

支援してやろうというちょっと上から目線の人でも、

変わりません。


自分たちは無色透明な存在ではなく、

何かの仮面をつけ、色をつけて見られています。


映像で見た、新聞や本で読んだ現場そのものがそこに広がっていて

なんだかまだそうした媒体を通して見ているような感覚で

現場に立ってしまうかもしれません。

媒体を通してみるのと違うのは、

影響を与える存在として自分がそこにいる、ということです。


そこに暮らし、同じものを食べ、同じ生活をするなら別ですが、

それでなければ、何年関わろうが、友達になろうが

「よそ者」です。

そんなよそ者の一人である私です。


今、一番現地に行って気を使うことは、

自分の発する言葉や行動が現地でどう伝わっていくか、見誤らないことです。

直接話をする人、それを見ている人、それを間接的に聞くことになる人

いろんな人のことを、想像します。


いいことを持ち込むことと同じ重要度で、悪い影響を出していないかを問うこと、

自分の想いをちょっと脇にやって、疑ってみること、

そんなことに気をつかう日々です。