学びたいことがあって、保育室へやってきました。

お世話になったのは、西東京市にある「子パンダ保育園」です。

 

ここの園長は、ソルト・パヤタスの活動を22年前に一緒に始めた、平塚洋子さん。

1995年、活動が始まった当時、パヤタスに通い、子どもたちの様子を独特の目線と語り口で、いきいきと伝えてくれていたのが彼女でした。現場の活動の礎を作ってくれた人です。

 

帰国後、保育室を開き、外国人の親御さんを持つ子どもたちを含め、日本の子どもたちの育ちを支えてきました。そして、ソルト・パヤタスの支援者として、フィリピンの子どもたちも見守ってくれている心強い味方です。

 

今日はこちらにお世話になって、0歳児~3歳児の保育の様子を見学させてもらいました。

 

ピンクのエプロンをつけて、帽子を借りて、保育士さんになったような気持ちで、お散歩に同行させてもらいました。

保育士さんたちの、子どもたちへ向ける意識、子どもたちから出される言葉や行動への反応を、じっと見学させてもらいました。

 

この園は、子どもたちが五感で感じることを、とても大切にしています。

 

食事の時間にも、それが現れています。

園の中で調理されたての食事を食べる子どもたち。

給食は米飯中心で、おかずごとに器が分けられています。

子どもたちは、食器を持ち替えることを自然に覚え、味の違いを感じます。

 

中には甘えん坊の子がいて、自分で食べられるのに、途中から先生にあーんをして食べさせてもらっている子も。

そういう子に、どう対応するんだろうと見ていたら、保育士さんたちは、無理に全部最後までひとりで食べさせようとはせず、子どもが気持ちよく「ごちそうさま」をするまで、手伝っていました。

しつけも大事ですが、食べきること、食べる楽しさの方を、それ以上に大事にしているように見えました。

 

一汁2菜の給食を、次々とおかわりする子どもたち。食べながら、目を合わせて笑ったり、しゃべり合ったり、子ども同士その食事の時間をとても楽しんでいました。

 

そして、食事が終わると、ごちそうさまをして、次々を終わった子が行く先は、本棚。

誰に何を言われるわけでもなく、読みたい本をつかんできて、好きな場所を見つけ、座ったり、寝そべったり、思い思いに本を読む子どもたち。

 

中にはこんな姿も。ご愛敬・・・。

 

この園では、基本的な生活習慣を教えること以外に、嫌なこと、痛いことをされたら、「嫌」「ダメ」と、自分を守るためのコミュニケーション力をつけることを大事にしています。

 

保育士さんたちは、泣いている子に、「よしよし・・・」と簡単に対応しません。

泣き出した子どもを見て、まずは子どもの様子を観察します。

そして、「どうしたの?涙が止まったら、どうしたのか言葉で教えてくれるかな。できるかな」と、どんなに、他のことで忙しそうでも、泣く子どもの方を見て、手を動かしつつ、その子へ意識を向け、反応します。子どもも、泣く自分をひとまず自分の力で落ち着かせようと努力します。そして、健気に、自分の言葉で伝えようとしていました。

 

きっと、日々のこの繰り返しが、子どもの伝えようとするスキルを育てているんですね。

 

お散歩途中、何度も目にした転びの場面。

 

子どもは本当によく転びます。

 

中には走った勢いで、大胆にジャンプして転ぶような、ツワモノもいたのですが、誰も大泣きしません。そして、みんな転び方、筋肉の使い方を知っているかのように、ケガをしません。
ちょっとべそをかいたとしても、手でパンパンと汚れを払って、何事もなかったかのように、もとの活動に戻っていきます。

 

お散歩の途中、いろんなものが五感を刺激します。

 

頬をなぜる風
触った葉っぱのちくちく
笑顔で語りかけてくれるご近所のおばあちゃん

子どもたちの挨拶に対して、笑顔で挨拶を返してくれる交番のおまわりさん、
電車が通り過ぎたときの風圧、

お総菜屋さんの前のいい香り
砂場の湿った砂、乾いた砂

 

一瞬一瞬の全ての体験が、子どもたちの脳に、次々と新しい刺激を与えているのを、感じました。

 

転びも含め、お散歩は、子どもたちにたくさんの「経験」を与えてくれているようです。

 

日々の経験が子どもの脳を作り、一つ一つの大人の反応が、子どもの脳を育てている

ライフスキル教育を実践する上で、「経験」と「反応」という、とても重要なエッセンスを確認できたように思います。

 

貴重な機会でした。

子パンダ保育園の保育士のみなさん、ありがとうございました!

 

 

9日に現場に来て下さった、あしなが育英会の畠山さんにお招きいただいて、学生寮があるレインボーハウスと本部にお邪魔しました。

 

聖蹟桜ケ丘にある寮は、百草園のすぐ隣。

緑豊かな、こんなに素敵な場所。

心が癒やされるような、気力が自然から与えられるような場所です。

 

 

親御さんを亡くした遺児の教育支援を長年実施されているあしながさん。

 

子どもたちを海外に送り出し、視野を広げる貴重な体験の場を提供する活動も熱心にされていて、フィリピンもその行先の一つになっています。

 

ばったり、3年前に現地体験プログラムに参加してくれた学生さんとの嬉しい再会もあり、嬉しい1日でした。

 

実家の父と、久々に話しました。電話で。

 

ゆっくりいろんな話を聞きたいのに、挨拶もそこそこに、すぐ母に変わろうとする父。

いつもそうです。

顔が見えない会話、「間」が苦手なのかもしれません。
娘なのに(笑)

 

でも、気持ちはなんとなく伝わります。

 

「今回はそちらに行けずすみません。次の帰国では、必ず行きますね。」

 

と、父の離れた電話口に向かって言いました。

 

昨年のこの時期、東大で実施したキックオフセミナーの続編版にあたるセミナーを、慶応義塾大の三田キャンパスで開催しました。

お越し下さった皆さん、ご登壇下さった先生方、ありがとうございました。

 

九州からわざわざこのセミナーのために来て下さった方もいらしてびっくり!

期待して現地の事業を見守って下さっている方がいるというのは、有難いことだなと思います。

 

頭、中室牧子先生から、今、先生が取り組んでらっしゃる埼玉の子どもの就学援助の話が出ました。心が苦しくなるような日本の子どもの状況に、学者は為す術がないのかと

自問自答してらっしゃる姿が、胸に刺さりました。

 

 

奥村先生による、京都での図画工作強化の取り組みで生まれた驚異的な改善のお話は、励まされるお話でした。フィリピンでのお絵かきの実践が、いつか、日本の就学支援と連動して行えるようになったらどんなにいいかと、ふと思いました。

 

 

実践の内容や分析結果は、真野先生が伝えて下さいました。

 

真野先生は、相手が日本人であろうが、フィリピンの現地住民であろうが、教育省の人であろうが、相手に分かる言葉で、難しいことを分かりやすく伝えて下さる名人です。

 

学校での取り組みが始まって2年目。

来年の今頃は、いよいよ実践の結果が見えてくる頃でしょう。

 

同じセミナーを福岡でも実施してほしい、というご要望をいただくようになりました。

来年は東京だけでなく、他の地域でもできたらなと思います。

 

 

今年もイベントの実施にあたり、東京事務局のメンバーが縁の下の力持ちとなって、裏方全般を支えてくれました。

ありがとう!

Jetstarの夜便で移動して、朝成田着。
この時期は、日本とフィリピンの気温差が少ないので、身体が楽、荷物も楽で助かります。

 

昨夜帰国準備がぎりぎりになってしまって、結局、昨日着ていたユニフォームそのままで成田着。

 

空港のコンビニで、レジに並んだら、「空港職員の割引使いますか?」と、聞かれました。


ソルトの紺色のポロシャツで空港をうろちょろすると、空港の職員に間違われる可能性があるんですね。

 

また一つネタが増えたぞ(笑)

 

親日派の眼科医アレックス先生の紹介で、この日は、PAMS:Philippine Academy of Medical Specialists, Inc.という医療関係者の団体の、年に1度のコンベンションに出展させてもらいました。


朝6時が出展者の集合時間で、Likhaのロレッタとクラリッサは朝5時頃にパヤタスを出発。

張り切って来たのですが・・・活動そのものに関心を持って下さった方は少なく、少し残念でした。


意外にも、名前をその場で刺繍する特注缶バッチが、大人気でした。

まずは存在を知ってもらうことから、だね。

 

カシグラハン地区の女性団体「カイサ」

3年後には、子ども図書館の入っている建物はカイサが運営管理します。

 

ようやく、タスクチームのメンバーも決まって、
3月から仕込んできた、KAISAの3か年計画作りが
いよいよ来月から始まります。

 

この約3か月、リーダーのエルサさんが、

一人一人のメンバーが何を思い
KAISAに期待するもの、KAISAに貢献したいことを
ヒアリングしていました。

 

最初は、計画を作るための計画作り。

ゴールと手順を確認するところから、始まります。

 

半年後が楽しみです。

 

「ある」のに「ない」というのは、嘘だ。
「ある」ものを「ある」と、

勇気を出して証拠を公開した人が

今、上の偉い人から罰を与えられそうになっている。

 

http://www.asahi.com/articles/ASK6F4D3JK6FUTFK00D.html

 

この大人の様、権力の使われ方

子どもたちや若い人たちには、

どう受け止められるんだろう

 

無関心に見えても、実は彼らの目や耳にも

ちゃんとニュースは届いていて
シビアに眺めているんじゃないか。

 

世の中こんなものかと、思われてしまうかな。

 

いったい誰の方を向いて、教育のトップにいらっしゃる?
誰の利益を代表しておられる?

 

賢く表現できないのが

もどかしい。

 

でも、こんな状況、黙って受け入れてたら

とんでもないことだよ。

 

 

カシグラハンのセンターまで、毎日の通勤の足はジープニー。
コモンウェルスのマーケットにあるターミナルから10分程で、

パヤタス。

 

パヤタスの小・中学校の辺りから、
眼を閉じていても、わかる。

パヤタスB地区に入ったと、匂いでわかる。

 

雨の時期はことのほか匂う。
でも今年は乾期でも、匂いがずっと強かった。

拡張され、高くなっているせいか。

 

匂いは1キロ程走っている間ずっと迫ってくる。

マスクをして
その上からタオルハンカチで抑えても
匂う。

 

トラックの後ろ

ジャンクショップ街
コミュニティーの近く

 

窓のないジープニーに入ってくる匂いの種類が
変わってくる。

 

私は行きと帰りの通勤の一時だけの辛抱。
だけど、この地に住んで、外から帰ってくる人は

どんな気持ちだろう。


この強烈な匂いをどんな思いで感じているんだろう。

慣れる匂いではない。
365日、毎日。

 

毎日、意識する匂い。

 

かれこれ10年見守ってきたEさんが、中途退学。

現場のスタッフにとって、悔しい、悔しい事例が、また一つ、増えてしまいました。

 

5年前、母親の海外出稼ぎが決まってから、彼女や彼女の家族に何が起きたか、振りかえってみました。一つの事例として、紹介します。

 

Eさんの家は、ソルトの奨学生の中でもひときわ貧しさの目立つ家庭でした。

 

Eさんは小学1年生のときからソルトの奨学生になりました。

 

母親のRさんは毎月保護者に出席し、Eさんも補習などの活動に休まず出て、教育に対する母子の意欲は高く、スタッフたちもこの分なら中学卒業まで続けられると期待していました。

 

しかし、奨学金だけでは、家族全員の生活を安定させることはできません。

 

子どもたちが成長するにつれ、かさむ生活費と教育費。夫にも自分にも定職がなく、食べ物にも事欠く不安定な生活で、母親のRさんは、海外出稼ぎの道を選びました。

 

家族と離れ離れになる辛さはありますが、出稼ぎ期間中は、残された家族に自分の報酬の中の一定額が家族に送金されます。仲介業者によってピンハネされたり、高い専門技能を必要とするような職種でない限り、実際諸々天引きされた後の純手取額は、国内の最低賃金労働から得られる収入とほとんど変わらないか、それ以下の場合もあるぐらい安いのですが、それでも、他に選択肢のない家庭にとって、安定した収入が、少なくとも2年から3年は約束される、それはこの上ない、そして最後の希望のように見えるのでしょう。

 

母が去って、最初の1年は、問題なく過ぎていったように見えました。

 

しかし、出稼ぎ2年目から、問題が次々と吹き出しました。

すぐそばに住み、子どもたちの日々の生活を見守っていたRさんの母、子どもたちの祖母が、他界しました。

父親の生活、交友関係が荒れだし、その内麻薬依存の兆候が、見え始めました。Rさんの出稼ぎの収入は、父親の薬代になっていることが疑われました。

 

スタッフは、国外にいるRさんと、Eメールでコンタクトできたので、Rさんに状況を報告し、可能な限り早く子どもたちのもとに戻れないか促しました。
母の葬儀で帰国したRさん。そのままずっと子どもたちのそばにと願いましたが、またRさんは出稼ぎを選び、1か月後家を後にしました。

子どもたちのことは、近所に住む妹が、時々様子を見に行ってサポートする、ということになりました。

 

父親の素行はエスカレート。子どもたちの叔母と相談し介入しようとしていた私たちに気付いた父親は、子どもたちと私たちとを引き離そうと、子どもたちを一時的に田舎で過ごさせると言って、私たちが連絡できない場所に子どもたちを全員隠しました。

 

2か月ほど、全く子どもたちと連絡できない期間がありました。

 

祖母が他界した後、子どもたちの環境はますます危険で不安定なものになり、幼い彼女と姉の肩に、下の兄弟たちを守る責任がのしかかりました。

 

久々に会えたとき、Eさんが見せる笑顔は、もう子どもの笑顔ではなくなっているように見えました。

 

出稼ぎ先の雇い主とのトラブルで連絡がつかなくなったRさんと、なんとか連絡がとれるようになり、帰国のための法的支援があることを伝え、Rさんはそれに向けてようやく動き出しました。

その頃、父の麻薬依存が深刻化し、警察に報告することも、密告が密売業者に漏れれば危険が伴うため、誰もが関与を避けるようになっていました。説得も何も通じない領域にまで達し、スタッフはRさんの了解を得、近所に住むRさんの妹と協力し、子どもたちを父親に気付かれないように、別の地域に住まわせる作戦を水面下で進めました。

 

それは成功しました。

 

叔母にかくまわれてしばらくして、Rさんが出稼ぎ先から戻ることができ、父親が知らない場所で、母子ともに平和に過ごす日が戻りました。

Eさんも転校の手続きを終え、復学したとの通知を受けて安堵していたのですが、しかし1年後、母は夫からのしつこい哀願に負け、復縁。
Rさんに仕事をあっせんしようと連絡をとっても、携帯に出ない、私たちからの連絡を避ける、そんな風になっていました。

 

Eさんのその年の欠席数は許容範囲を超え、落第が決まりました。

 

それを機に就学をあきらめ、働きたいという意志が私たちに伝えられました。

 

Eさんは、この春から家族から離れて、一人マニラから車で2時間程の地方で、住み込みのメイドの仕事に就きました。彼女が働きはじめて1か月以上経過した後に、母親から私たちに報告がありました。

 


会いに行こう。
会って、他の事例で一時は学校を離れたとしても、復学したケースがたくさんあることや
いつか復学したくなった時に、相談に来るように伝えよう。
このままの状態で、この子との手を放してはいけない。

 


スタッフと話し合い始めた矢先、偶然にも、休みで家族のもとに帰って来ていた彼女と、学校の校舎内で会うことができました。

 

本当に、偶然に。

久々に会った彼女は、更に大人びていました。
母や、兄弟姉妹たちと一緒で、リラックスしていたせいか、一番厳しい時よりも、笑顔は明るく見えました。

彼女に会ったら、いろんなことを聞こうと思っていたのですが、会ってみて、今はその時ではないのだと感じました。

 

「復学したくなったら、いつでも連絡をするように」
「これからも連絡をしあおう」

 

と、それだけを伝えるのがやっとでした。
ハグして、胸がいっぱいになってしまいました。

 


今のEさんにとって一番の幸せは、苦境にいる家族を、自分が少しでも経済的に支えて楽にすること、兄弟姉妹たちの就学を支えることです。
それが彼女が、「仕方なく」ではなく、積極的に選んだ道なのだと彼女の笑顔を見て感じました。

運命のめぐりあわせで問題のある親のもとに生まれ、困難な子ども時代を過ごし今の境遇にいる彼女。その境遇の中で、自分の心の折り合いをつけ、頑張ろうとしている姿を見て、この状況をどう他人の私が受けとめるべきか、複雑な気持ちがしました。
でも、はっきりと感じたのは、彼女の幸せは、彼女の意志の力で作られるべきものだということです。

 

ただその意志も、その今の笑顔も、瞬間の姿でしかなく、もし何か新しい不運や不幸が起きれば、あっけなく、はかなく、その意志を打ち崩してしまうかもしれない。ひたむきに良く生きる、強く生きる、という心の糧を、失ってしまうかもしれない、そんな危うさを理解して、誰かが支えなくてはいけないのだと思いました。

 

母子の姿を見て、一瞬「たくましい」という言葉が浮かびました。
でもすぐに打ち消しました。

 

たくましく見える、あるいはそのように努めている姿を、称賛の意味を込めてそう表現することは悪いことではないのですが、私には「たくましい」その一言で、見るものが、私が、自分を安心させ、状況を見る目を、楽観で曇らせてしまうように、感じました。困難に遭遇している人を不幸とかかわいそうとか一面的に判断してしまう怖さと同じように、たくましいという判断も難しいです。

 

全ての出稼ぎが、子どもを不幸にするわけではありません。出稼ぎによって、収入が安定し、家族が望む将来に近づいているケースもあるでしょう。
でも、私がパヤタスやカシグラハンで見てきたことをそのままお伝えするならば、母親が子どもの将来のためにと出稼ぎを選んだケースの半分は、父の生活が荒れ、子の生活習慣が乱れ、学習成績が落ち、就学意欲が落ち、そして父母の夫婦関係は冷え元に戻らない、という経過をたどっています。

 

身の回りの世話をし子の生活習慣を育てる役割、家族の心の拠り所としての役割、それら重要な役割を果たしていた母親の不在は、安定した収入を得るメリット以上のデメリットを、家庭にもたらしてしまうようです。

 

もしも、父親が、あるいは母に代わる誰かが、その役割を務めてくれるのであれば、それを食い止めることができるのかもしれません。

 

Eさんの場合は、最初の間は、祖母が代役を担い、父を監視し、子どもたちを守っていました。

 

安心していられない環境に陥ってしまった子どもたちが、守られる術は何なのか。

 

子どもたち自身が自分を守る術を知ること、
母親や母親の役割を代行できる大人を増やすこと、
自治体や社会福祉開発省の生活支援、
学校の先生の目配り
そして地域の心優しくいろんな経験をしている真にたくましいお母さんたちのおせっかい

 

子ども図書館で楽し気に過ごしている子どもたちのこと、その子たちと同じように、今そこにいない、でも本当はいて欲しい、Eさんのような子どもたちの存在を感じながら、活動に反映させていければと思います。