私はお賽銭とお線香くらいだけど、お供えモノやキレイに生けられてるお花を見ると
会ったことないけど同じ空間で繋がっている人がいることに不思議な縁を感じます
清々しく爽やかな花を ジメジメした季節に咲かす、神さまって粋な計らいをするよね
八百万の神、 こんな言葉ある日本って 本当に素晴らしいといつも思う
まだ売れていない墓地で育てられていた花
赤白ピンクのコスモスがあったよ
コロナ禍でなくても 生きてるだけで人生は色々ある
でも こうして戦時中でない地域にいること、ネットで最新情報を見れること
食べ物を買えるお店が沢山あること、地球規模で見ても私たちは相当のラッキー者である
つまり些細な不幸に心を奪われてるなんて勿体ないくらい幸運の持ち主だということ
無い無いと言い、欲しい欲しいと嘆くと、宇宙はそれが願いと捉え ますますその状態になっていく
足りるを知り、どんなときでもそこにある感謝を見つける、それが幸せに生きる秘訣
スマホやウォシュレット、宅配etc どんどん便利になり 当たり前のレベルが高くなる世の中が時々怖くなる
もしそれらが一気になくなっても耐えられる私達でいられるよう、心構えが必要だといつも思う
北京オリンピック前、中国に旅行したときのこと
なかなかの都会でもドア無し、しかも溝1本のトイレが割とフツーにあったの
生まれて初めて見るそれらのトイレに妙齢女子だった私はカルチャーショックでしたが
郷に入っては郷に従えで、途中からは平気になったヾ( ´Д` ) だって使用せざるを得ないからね~
でも ドア無しトイレを当然のように使えるようになった時、何だか強くなれた気がした
生きてると なにが起こるか分からぬ世の中だから
そんなとき、便利に慣れ切っている者ほど 多くの苦痛に襲われることになる
今の生活をわざわざ変えなくてもいいけど、当たり前はないということと感謝は常に忘れずにいたい
その思いを心に持っておくだけで どんな状況になっても光を見逃すことなく見つけられる
お寺に貼ってた言葉を読んで ふとそんなことを考えたお墓参りでした