5月。
すでに息子には普通の教科書は難しいでしょうとのことで、教科書が傍に追いやられ、未就学児の使う優しい算数ドリルが与えられた。
こういうのを見ると、やはり呪詛の気持ちが湧いてくるというか。
現実はこうなんだなというか、この現実をすんなり受け止められない自分がいて。
一度歪んで現実を受け入れ、畜生。
そのあとゆっくり消化していくしかない。
同じように支援級に入学して、知的のクラスに入れられて、他の子はそれでも普通級と同じ教科書を使っているのに(とりあえず最初は)
我が子はもうギブアップ状態になり、それでも机の上に教科書を開いて、教科書の絵を眺めている。
そんな息子が切ない。
買っていいですか?と見せられたドリルも、大きな絵のカラフルな、5歳の子用となっていたけど、あらためて幼い。
これが現実かと思いつつも、素直でいい息子だと思いつつも、これをめくるのが息子の人生で、やはりどんどん開いていくこれからの普通の知能の子との人生。
どうして私がそういう子どもの親なのだろうか。
週5で児童発達支援に通い、自費でも障害児の教室に通わせ、家で勉強をさせ、親も本を読み障害のことを勉強して…
それでもやはりここが落ちどころなのか。
毎日の登下校の付き添い。
(そのうち週2日は放課後デイの車が来てくれることになったけど)
やかましくおしゃべりする子たちに囲まれ、息子の手を引いて無言で歩いていると、同じ空間にいるのに、
ナンカココハ何処ナンデショウカ。
そんな気になるというか、みんな当たり前のように教科書ひらいているのに、
(支援級の子でさえ)
その中でうちの子が、ドリル。
分かっていたけど、分かっているつもりだったけど、支援級の中でも我が子の知的な遅れが目立つと、また心に来るものがある。