千年ふる鶴の頂や初日出
千歳ふるたづの頂や初日出
〇井月の視野・射程は、千年、<千>
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○牛も千里馬も千里 うしもせんりうまもせんり
意味 早い遅い、上手い下手の違いがあっても結局は同じところに到達するというたとえ。牛がゆっくりと歩いても馬が早く走っても千里の道のりはやはり千里で、同じ目的地に着くことから。
○縁あれば千里 えんあればせんり
意味 縁があれば千里も離れた所の人と会うこともあるし、結ばれることもあるということ。「縁あれば千里を隔てても会い易し、縁なければ面を対しても見え難し」を略した言葉。
○あの世の千日、この世の一日 あのよのせんにち、このよのいちにち
意味 あの世の極楽で千日暮らすより、この世で一日でも楽しむほうがよいということ。
○値千金 あたいせんきん
意味 非常に高い価値のあること。
○ 春宵値千金
命さへ打込む花の夜は朧
○千両と傅き給へ花の兄
右馬場鶴皐初孫出生祝
○千里の野に虎を放つ せんりののにとらをはなつ
意味 災いのもとになる危険なものを放置するたとえ。千里四方の野原に虎を野放しにするという意から。「虎を野に放つ」ともいう。
○凉風や千里の藪も思はるる 虎画賛
湖の北の岸、今日ネミの村が坐っている切り立つような絶壁の真下に「ディアーナ・ネモレンシス」すなわち「森のディアーナ」の聖なる森と聖所があった。…
「金枝篇」(一)
羽村玉川上水取水口よりやや上流に玉川神社がある。多摩川の向こう南岸には、草花丘陵と麓には郷土博物館がある。
玉川神社には、諏訪大社の御柱の遺木が祀られてある。
稲妻のひかりうち込夜網かな
19)ネミの森の伝説で、最後にのこされた謎は、祭司の後継者となる者が前任者を殺す前に、なぜ金枝を折らなければならなかったのかということである。フレイザーはこの謎を解くため、北欧神話のバルデルの物語を研究する。バルデルは主神オーディンの息子で、天と地のあいだにいる神である。そこで従神たちはバルデルを守るべく、ふりかかりそうなあらゆる厄災を阻止しようとするのだが、折あしくヤドリギの枝に射られて死んでしまう。しかし実は、ヤドリギの枝によって射られたからこそ、バルデルは天上界に蘇ったのだった。
稲妻や網にこたへし魚の影
(20)バルデルの神話では、ヤドリギは「タブー」になっている。両面の力を発揮する。フレイザーはおそらく金枝は、このヤドリギの力と同様の力をもっていたのではないかと結論づけた。バルデルを殺すことができたのはヤドリギだけであり、バルデルを蘇生させられることができるのもヤドリギだけだった。きっとネミの森の金枝にも、そのような両界をまたぐ力が託されていたにちがいない。
Golden boughというのを、井月も、捜していたはずだ。江戸では、芭蕉や仏頂を見ていたが、俳諧や禅以前の心の有処を詠う和歌に、その歌の中枢にあるものを自らの若さゆえに希求していた。それは、歌学であり歌論であったかもしれぬが、おそらく今なら<金枝>と訳されるその深秘のものは、江戸から出て玉川を遡上することで探索が開始された。
山田早苗が玉川遡源を歩いたり、武蔵野周辺を歩いたりして、大方の名所歩きは尽くしていたが、おそらく、井月もその跡を追って歩いていたが、成木川岩淵にある岩井堂には、二人とも訪ねた記録がない。早苗の膨大な著書のなかにあるいはささやかな記録があるやも知れぬが、遡源日記には見当たらず、であっても井月は必ずここを尋ねている。
…詩人は、地獄の門に巨大で陰気な森林がさしかかっていたことを、そして先導の二羽の鳩に従って行くこの英雄が涯なき大森林にさまよい、ついに樹々の影を通して向こうの方に「金枝」がゆれ輝きつつ絡み合った頭上の枝を照らしているのを見た…
『金枝篇』より
これは井月生誕二百年に、私が岩井堂で発見したgolden boughだが、
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