センター試験


それは受験生に取って


とても大きな意味をなすイベントである。


毎年この時期に大々的にニュースで報道されている


いつのまにやら、大学入学共通テストと名前は変わっていたのだが


本日はキンミヤに強炭酸を注いだグラスに


マミーマートのお刺身売り場から無料でかっぱらったガリを投入して飲んだガリサワーの酔いに任せて


センター試験の想い出でも語ろう。


あれは12年前の出来事だ


高校卒業が決まり

 

現役で大学合格とならなかった私は


1年間浪人生活を送っていた。


その浪人生活を共に歩んできたのは


中学、高校と同じだった


小西大介


高校3年生からの浪人時代も含めての2年間


私は小西大介に勉強を教わり、盗み、参考にして


自分の勉強スタイルを築いていったのだ。


この男無しで


私は一般受験という選択することも無ければ


無事、大学に合格することも無かったであろう。


私の人生にとって、偉大な男である。


とにかくよく2人で勉強した。


浪人とは本当に辛い時期である


今まで自分が所属していた学校が無くなり


18歳にして生まれて初めて


何もかもがまっさらになる。


結果を出さなければ終わり


不安と常に隣り合わせで


未来へのプレッシャーの中


2人で本当によく勉強したのだ。


そんな中、センター試験当日


試験会場は東京大学


東大を受けるわけでも無いのだが


浦和民は東大が試験会場にふられる。


当時、ドラゴン桜というドラマが一世を風靡し


山Pの主題歌を聴きながら、受験会場へ向かう


モチベーションはもう最高潮


今までお世話になってきた人たちの顔が浮かぶ


親にたくさんお金出させたな〜


友達にたくさん応援して貰ったな〜


御守りたくさん貰ったな〜


彼女に支えて貰ったな〜


思い出せば出すほど、地下鉄で涙がちょちょぎれる


そんな中、受験会場で


小西と合流


「おはよう!がんばろうな!」


その次の瞬間、小西から返ってきた言葉に私は耳を疑った


「しょうご…時計忘れた…」


説明しよう。


受験生が本番のテストに時計を忘れるという事は


真冬の富士山に


ホットパンツとタンクトップで登るようなものである


丸腰で死ににいくようなものだ。


今まで培ってきた


全てのペース配分が崩れるのである


教室に時計が有るかもわからないし


そもそも会場の時計を見ながら顔を上げ下げする1秒の行為も惜しい


マークシートを塗りやすいように受験生は少し尖った鉛筆で受験を受けるなど


兎にも角にも全身の神経を張り巡らせているのだ


人生を賭けた闘いに対して詰めが甘すぎる


言葉を失った


言葉にできないとはこういう事だ


親友であるが


これもこやつの人生だ、知らん知らん


微妙な空気のまま、それぞれの受験教室へ向かう


私は席に座り、ふと教室の上を見上げる


時計が有る…


小西の教室はどうなんだろう…


そんな少しの思いをよそに、気持ちを落ち着かせる


試験が始まる30分前


再び、小西と外で合流


ここで再び言葉を失う


「俺の教室、時計なかった…」


小西よ…


きっとお前の前世は殺人犯だ


その反動で今世に優しい男に生まれたのだろう


センター試験に時計を忘れて


教室にも時計がない


因果応報です


あなたの前世をどうか自ら恨んで下さい


来世の試験ではどうか時計を忘れんといて〜〜


そんな思いと裏腹に


私は目を閉じて瞑想をした


小西との思い出が蘇ってくる…


サッカー部の仮入部に居なかったのに何故か入部し友達が居なく1人グラウンドの隅でポツリ立っていた姿


小西という苗字から最初の数ヶ月ドンちゃんと呼ばれていた事


一緒にレッズ戦を観に行った事


外周中に野糞をして、枯れ葉でケツを拭いた事


高校が一緒で喜んだ事


勉強を沢山教わった事



……



兄の龍太から


持ってって使えと言われたPOLICEの黒い時計を


私は気が付けば、小西に渡していた


小西だから渡した


怒りながら、本当に怒りながら


そっぽを向きながら


まじまじと顔を見れば、殴ってしまいそうで。






それから12年が経った今


私はまた言葉を失った


先日年末の忘年会でこの思い出話を小西に話すと


全く覚えていないのだ…


考っえられない… 


私は人生とはこういうものだと悟った


優しさの見返りは求めるものでは無いと


自分の中の正義は、自分自身で褒め称えようと


今までの小西が与えてくれた優しさに


優しさを返しただけだと


んがしかし、私は子孫まで語り継がれるこの英断を


自分の中だけでとどめれる程、器は大きくない。


死ぬまで残る、このブログに


遺書として綴ることにしたのだ。