四国の旅~

 

神社仏閣巡りのお寺271目は徳島県阿波市の「切幡寺」・272寺目は香川県さぬき市の「大窪寺」です。

 

 

ー「切幡寺」ー

 

四国八十八ヶ所霊場第十番札所です。

 

山号は「得度山」、ご本尊は「千手観音」様、開山は弘仁年間(810年-824年)とのことです。

 

 

山号の扁額

 

 

暗くてこれが限界...仁王像。

 

 

 

 

 

弘法大師様。

 

 

 

 

以下、HP「切幡寺の歴史・由来」より...

 

切幡山の中腹、標高155メートルに境内がある。国指定重要文化財である大塔からの眺望はすばらしく、眼下には吉野川がゆったりと流れ、前方には四国山脈の雄大な山々が連なる。

 

古くこの山麓に機を織る乙女がいた。ここで修法していた弘法大師は結願の7日目、綻びた僧衣を繕うために布切れを所望された。

 

乙女は織りかけていた布を惜しげもなく切って差し出した。大師は、この厚意にたいへん感動し「何か望みはないか」と尋ねた。

 

乙女は「父は都で薬子の変に関係して島流しとなり、母は身ごもっていたが、男の子が産まれればその子も咎を受ける。どうか女の子が産まれるようにと、清水の観音様に祈願しやがてこの地に来て産まれたのが私です」といい、「亡き父母に代わり観音様をつくってお祀りしわたしも仏門に入って精進したい」と願いを告白した。

 

大師はつよく心を打たれさっそく千手観音像を彫造し、乙女を得度させて灌頂を授けた。乙女はたちまちのうちに即身成仏し、身体から七色の光を放ち千手観音菩薩に変身した。

 

大師はこのことを時の嵯峨天皇に伝え、天皇の勅願により堂宇を建立して自ら彫った千手観音像を南向きに、また即身成仏した千手観音像を北向きに安置して本尊にしたと伝えられる。

 

得度山、灌頂院、切幡寺それぞれの名称もこうした由縁による。麓は巡礼用具店などがならぶ門前町となっている。

 

「女人即身成仏の寺」として知られ、七色の光を放つ善女に憧れる女性からの人気が高い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぴかぴか顔のびんずる様

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「切幡寺大塔」

以下、HPより...

 

国指定重要文化財である切幡寺大塔。


初重と二重の間が方形で、日本唯一の構造様式。豊臣秀頼が秀吉の菩提を弔うため建立、明治6年に大阪の堺にある住吉大社神宮寺から移築し完成に10年を要した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本堂」

 

 

 

 

 

 

 

 

「大師堂」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ー「大窪寺」ー

 

四国八十八ヶ所霊場第八十八番札所...

最後の札所ですので「結願所」というらしい。

 

山号は「医王山」、ご本尊は「薬師如来」様、開山は養老年間(717年-724年)とのことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下。HP「大窪寺の歴史・由来」より...

 

八十八ヶ所結願(けちがん)の霊場「大窪寺」。徳島県の県境に近い矢筈山(標高788m)の東側中腹に位置します。

 

縁起によると、養老元年に行基菩薩がこの地を訪れた際に霊夢を感得し草庵を建て修行をしたと言われます。

 

弘仁6年に、唐から帰国した弘法大師が現在の奥の院にある岩窟で、虚空蔵求聞持法を修法し堂宇を建立。等身大の薬師如来坐像を彫造し本尊とされました。

 

また唐の恵果阿闍梨より授かった三国(印度、唐、日本)伝来の錫杖を納めて大窪寺と名づけ、結願の地と定めました。

 

本堂西側にそそりたつ女体山には奥の院があります。大師が本尊に水を捧げるために独鈷で加持すると清水が湧き出たと伝えられます。その水を薬とともに服用し、ご利益を受ける人も少なくありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本堂」