ありがとう阿武隈急行、全線再開の喜び 延長戦とその後 | 蒼きこだまのシルエット

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蒼柳こだまの写真日記やちょっとした日常所感、鉄道・交通の話など。
写真は保存車両をはじめとした鉄道写真や風景・スナップがメインです。
つまらんものですが、よろしくお願いいたします。

前回はデパートの地下が揺れる頃に記事をお送りしました。まさか、その夜に自分が二本足を置く土地が大きく揺れるとは思いもよらず…。
そんな話も後半にお送りしますが、ひとまずは前回の続きから。 


富野へ走り出した一番列車を見送ったあとも丸森に残った私。時間潰しがてら齋理屋敷を軽く観光したあと、再び駅に戻って待ち構えます。狙いは…、

富野からの一番列車。丸森駅側でこれを狙う人はそんなにいないだろうという目論見が当たり、ゆったりと撮れました。ドアが開くと多くの乗客が降りてきます。丸森で下車する人、槻木行きの列車を待つ人…様々でした。

当の私はやってきた列車の折り返しに乗車し、富野方面を目指します。
ゆっくりと進む列車。その車窓から見えたのは、線路と併走する阿武隈川と、それが作り出した阿武隈高地の険しい渓谷。線路脇にはまだ工事の様子が残っていました。先の豪雨の凄まじさを想起させます。
20分ほどかけて富野まで到着。住宅街の中に切り開かれて作られたという様相に、同行者共々苦笑い。折り返し設備があったから当面の終着駅になっていたのでしょう。「動かせる地点まで動かす」という心意気も感じ取られました。

停車時間短し、ということもあってそのまま乗車。なんとなく駅名に惹かれ、やながわ希望の森公園前で下車。撮影を試みます。

抜群のロケーション、天候でした。青空に感謝です。
駅舎もこの駅の特徴。キャッチフレーズが「桜の園」となっていることからも、公園の最寄駅であることが全面に打ち出されています。しかし、震災を機に駅は無人化。食事処も営業していたらしいのですが、訪れた時は廃墟同然、SECOMの防犯機能だけがこの建物の「生存」を示していました。肝心の公園には時間の関係で赴きませんでしたが、少々寂れている感が否めなかったですね…。桜の季節には、また違った様子を見せてくれるのでしょうか。

思いっきり引いたのも1枚。青空の下の風景を表現したかったのですが、ピントが行方不明に…(ブログでの圧縮で相殺されている気もしますが)。
10年近く愛用してきた機材の限界はここにも見られます。この日を最後に実質引退状態です。裏を返せば、最後の日がこの撮影でよかったかな、とも。

折り返しはホーム上から。
今では平静とした駅でも、こうして利用者がいる限り存在価値はあるはず。そうであるなら、この車両が掲げる「ありがとう」のヘッドマークの意味合いは大きくなってくる。わずか数十分の滞在で、この駅の両側面と鉄路の存在意義を見た気分です。

結局その後はこの列車に乗り込み、福島まで乗り通しました。駅周辺を少し歩いたあと、後に消滅が決まる東北本線の福島〜仙台間直行列車で帰路へ。300円の阿武急一日乗車券は乗り通しだけで元が取れたし、780円/枚で福島から仙台へ行けるWきっぷもお得!ということで。

この日の収穫。鉄印帳デビューも果たしました。写真撮影や乗り通しといい、鉄道趣味における自分の楽しみ方を再認識した一日でした。


それから3ヶ月半が経った日のこと。

私は再び丸森駅を訪れていました。しかも車で。

冒頭でも少し言及しましたが、2/13のこと。あの日を想起させるような揺れが福島・宮城を襲いました。地震の規模としては正に10年ぶりクラスだとか。孤独に怯えて夜明け前まで時間を潰していました。それでも落ち着きを取り戻せず、車を借りて仙南地域へ気ままに走らせていたところ、気になるニュースが目に入ります。

3ヶ月半前に再開の喜びを迎えた鉄路が、またしても寸断されてしまったのです。近傍まで来ていた私は急遽ハンドルを切り、その舞台となった駅へ向かった…こんなところです。

詳細はこのツイートと公式発表に譲りますが、目の当たりにすると何とも居た堪れない気持ちに。車で向かっている時から「やっと復旧したのに、どうして試練ばかりもたらすのだ…」という思いばかりでしたね。
こんなときに何もできない焦燥感にも駆られていましたが、とあるフォロワーさんの提案もあり、

グッズを介した寄付を贈りました。417系の要素が多いのは、113系を見ていた頃からの性です…などと。
 

結局、翌日には再開に漕ぎ着け、私の思いは杞憂へと蒸発していきました。このご時世で経営状態も気になる中、度重なる災害に屈することなく地域の足を支え続ける関係各所には頭が上がりません。
(今日までの間に、同じ言葉が浮かんだ出来事がもう1つありましたが、それはまた別のお話…。)


最後に、式典中の丸森駅からもう1枚。

駅構内の片隅に鎮座するカエルの銅像。1997年8月に沿線団体から寄贈されたものです。
その横には次の句が添えられています。

親子旅 楽しく無事に 帰る駅

どこへ行っても、帰る駅が自分の住み慣れた地域にある。鉄路が復活したこの日の様子を振り返ると、その意味がより味わい深く思えてきます。1年に亘る不通から立ち上がり、震動にもめげることなく走り続ける阿武隈急行。その歴史がいつまでも刻まれることを願って止みません。

これにて阿武隈急行完全復活編、完結です。
それでは今回はこのへんで…。