今回は、一眼レフを持ち始めた当時の懐かしい話題です。なんと9年前…!!
(こちらは2010年12月にコンデジで撮影)
東の201系、と聞いてどんな姿を思い浮かべるでしょうか。きっと印象深いのは、あの真オレンジでしょう。しかし、最後まで残ったのは、京葉線のスカイブルーでした。
103系の置き換えのため、三鷹からやってきたのは20年前の夏。当時は試作車も混じっていました。その後、試作車が先に旅立ち、豊田からの仲間が増え、すぐに209系が入ってきて固定編成が一掃…なんとも忙しない動きでした。大きな動きがなかったのは、外房・東金線に直通する分割運用を担っていた4編成。オレンジの同僚が全員旅立ってからも活躍を続け、2011年にE233系に置き換えられました。
そして…。
2011年6月。最後まで残った54+K4編成にさよならHMが。愛用歴2ヶ月目の機材と、201系を愛して止まなかった仲間とともに、2週続けて通いました。
先述した分割運用の目玉でもある、誉田駅での分割併合。最後の最後に記録できたのはうれしい限り。
連結後の姿。シャッタースピードしか知らなかった割には結構うまい…?
そして、一路東京へ。201系の一日はこの動きから始まっていました。
当時は細部までくまなく、というなんとも子どもっぽい撮り方をしていたんですが、その中から掘り出したスナップっぽい1枚。全塗装×ブラックフェイス、という特徴が滲み出ています。
蘇我駅にて。後継、E233系と。ここだけ見ると、世代交代の構図はオレンジと一致していました。
陽があたっているぶん、誉田駅より良い仕上がりの1枚。
ヘッドマーク。
新木場駅にて。甘ちゃんだったのを縦にトリミング。
拙いくせに量だけが多く、いじり甲斐がありますね。
国鉄スタイルの運転台。さまざまな運転シミュレーターが似た形だったからでしょうか、ツーハンドルといえばこれが思い浮かびます。首都圏では今や過去帳入り。
1週間後。
この日も誉田駅からスタート…でしたが、載せられるのはこれくらい。
海浜幕張駅にて。当然、少年たちはこの車両について知らなかったことでしょう。あれから9年、今は何をしているのでしょうか。
折り返しをパチリ。当時の私はこれをベストショットに選んでいたそうですが…そうでもないぞ、こだま少年よ。
まあ、これから学んでいくのでしょうし、仕方ないかと。
そのまた返しまで。よく粘れたものですね…ほんと怖いもの知らずといいますか…。
運転台にはグッズの1つであるサボが。当時はこれを見て「欲しかった…」と思いました。
最後はこの1枚。京葉地下ホームの日常にスカイブルーがあった証です。
この翌日午前に営業を終了。23日、帰らぬ旅へ出ました。
201系は鉄道写真としての最初の被写体でした。それだけに、この2回だけでもさまざまな記録が残っています。青臭い要素もありますが、いい思い出です。
西日本でもスカイブルーやオレンジが姿を消し、ウグイスも最後の活躍。最後の1両が役目を終えるそのときまで、何事もないことを願います。
それでは今日はこのへんで…。
※17:30 追記
矢神敏一氏にリブログしていただきました。よろしければ併せてお楽しみください。