今日は昭和の日。いつもなら市外へ出かけているかもしれませんが、今年は市内から出ることはなさそうです。
ということで、「昭和」「鉄道」という要素に沿って、こんなプレイバック記事を。
高度成長期に誕生し、本州の近郊型車両として幅広く活躍した113系と、
その寒冷・急勾配路線用、115系です。
物心着いたのは、東海道線で15両編成を成していた頃。113系が当たり前の情景の一部分でした。
それが、いつしかE231系が湘南新宿ライン以外にも入るようになり、気がつけば数を減らすように。
引退することがわかり、運用情報を何も知らずに乗りに行った結果、偶然にも出会うことのできた。そんな1枚です。
なんと、さよならHMを装着した最後の勇姿も、昔のアルバムから出てきました。当時から藤沢の駅先に人が湧いていたのがわかります。この日は国府津の113系にとって最後の日曜日でしたね。
こちらも、江ノ電に乗りに行った帰り、何本か見送ったらやってきた、そんな感じでした。これを最後に、地元で113系を見ることは一度なくなります。
その後は房総半島にその姿を求めに行くこともありました。国府津からの転属車もいましたね。
余談ですが、左のE217系も更新前の懐かしい姿です。
しかし、それも長くは続かず、皮肉にも地元でよく見かけた209系に置き換えられ、姿を消すこととなります。
ラストランも撮りに行きました。物心着いたときからの憧れの存在だった113系、その終焉となると、哀愁も一入でした。
その数日前には地元にも戻ってきていましたね。地元の旧友と市内あちこちで撮った記憶があります。
これを最後に、113系は東日本から姿を消しました。
その後、憧憬を追い求めて、115系に目を向けるようになります。
快速「白い砂」「青い海」のリバイバル運転がM40編成で行われることもありましたね。
113系亡き後、地元によく来るのはこのM40編成でした。1編成単位で"推し"ができたきっかけにもなります。全席自由席だった「ホリデー快速鎌倉」、一度乗り通して見たかったですね。
ラストランを見送ることはありませんでしたが、TOMIXから出た模型を購入し、大切にしています。
湘南色の115系は、大回り乗車をする度に群馬で見かけては写真に収めました。
いつしか、編成記録に留まらない撮影をするようになり、こんな1枚も。
211系、107系と。上野からやってくるE231系、E233系と合わせ、高崎駅は湘南色車両が勢揃いするという、贅沢な駅でした。
結局、上野口から追いやられた211系に置き換えられ、2018年3月を持って関東からは姿を消しました。ラストランには一切参与しませんでしたが、このような記録が残っているだけでも、自分には充分です。
今や東日本では、115系は新潟地区としなの鉄道に残るのみとなりました。後者はSR1系による置き換えが始まろうとしています。113系の前身となる111系の誕生から60年近く。残っているだけでもありがたいと思い、機会があれば撮りに行きたいものです。
それでは今回はこのへんで…。