連日流れる 御嶽山噴火のニュース
ショッキングなニュースであり、心肺停止といわれている方々の一刻も早い救出を願っています。
その一方で、このニュースにはあまり触れないようにもしている。
あの時を思い出して苦しくなるからだ。
2000年3月31日 有珠山噴火
数日前から火山性地震が昼夜を問わず続き、寝不足による疲労を
感じてきた頃の噴火。
噴火予知しやすい山だったこともあり、死傷者を出すことがなかったが
当時住んでいた、嫁の実家の目の前で道路が封鎖され、自衛隊の
検問所が置かれた。
戦車のようなキャタピラの装甲車が何台も行き交い、四六時中赤色灯
がつき、人の声が響き、家にいても体は休まらず、緊張状態が続いた
職場であった病院は、居住地より25kmほど離れていたが、近隣地域
の主幹病院であったこともあり、避難患者の受け入れにごった返して
いた。
当時はICU/CCUで勤務していたが、重症患者の受け入れで、ベッド
とベッドの隙間にも簡易ベッドを入れ治療をしている状況だった。
いつも以上にハードな勤務状況に加え、家に帰っても全く休まらない
状況の中、噴火の続発や、二次災害等が起きれば、いつでも駆け
つけるように指示されており、家族の安全と職務を天秤にかけなけ
ればならないような精神的なプレッシャーも受け続けていた。
幸いなことに、被害は広がることなく収束を迎えたが、このことあって
から、仕事に対するモチベーションが変化していったような気もする。
まぁ、このことが全てではないが、その時のそんな思いが思い出され
るので、あまりみないようにしている。
冒頭にも書いたように、取り残されている方々が、早くご家族のもとに
帰ってこられるように祈るばかりです。