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愛犬を亡くしてからの遺品整理。
「整理」という言葉は、
事務的であまり好きになれない。
それは単なる片付けではなく、
残された思い出を一つひとつ「選び抜く」作業なのだと思う。
折を見て手放し、数を絞ってきた。
ただ、そこに留めておくだけの時期もあった。
よく使っていたマット、グッズ、おもちゃ。
それらを手放すたびに、
感情や月日、悲しみ、そして思い出と向き合った。
向き合いきれない日々もあったりもした。
泣く日もありながら日々を過ごした。
感情が追いつかない日は、ただ残し、また数を減らす。
その繰り返しをした。
自分の身体をデトックスするように、
今は「ただ留め置く」から「選び抜く」段階に入りつつある。
雑然と置いてきたものたち。
決して雑に扱ってきたわけではない。
愛犬との思い出がそこにあるのに、
ただ置かれているだけの状態を、
今の自分は「大切に扱えていない」と感じてしまったのだ。

大切に扱うということ。
選び抜いた品々を、
自分にとっての宝物を最高な形として、
ふさわしい形でそこに在るようにしたい。
大切に選び抜いた遺品たちは、
私が選んできた最高の箱に丁寧にしまうと決めた。
自分を愛しむように、遺品を大切に扱う。
「もの」は、単なるモノではない。
遺品を見て、人は涙を流す。
ただのモノであれば、そんなことは起こらない。
そこには確かに、
共に過ごした時間が宿っている。

だから私は、
自分自身を扱うように、
愛犬の遺したものたちも大切に扱いたい。
選び抜いた宝物たちが、
これからも私の暮らしの中で静かに息づいていくように。
YUKIKO
願いがわかっていて、
それに手を伸ばさない。
無意識にそう願っていたとは別に、
すでにそこに
そうしたいという欲求が自分にわかるように、
浮き彫りになっている。
そうしたらやる事はもう決まっている。
その願いをちゃんとまっすぐに
掬うこと。
理由なんていらなくて、
それを自分の手で願いを叶えてあげる。
親友にそうしてきたように。
家族にそうしてきたように。
大事な事はまずは自分に
そうしてみる。
直感を大事に丁寧に扱う。
そうすると、
ほんとうに良い事しかない。
心が喜び、
身体がよろこんでくる。
細胞が喜ぶ。
自分にとって大事なこと。
必要なことが何かがわかってくる。
一日を身軽に。
そして一日という時間を惜しみながら
ちゃーんと自分を育てる。
だってもう時間だけは戻ってこないんだから。
今は今しかない。
どう足掻いても、
どうやっても
その一瞬の時間はもうすでに過去となる。
今日も心地いい風を浴びて、
aesopのお香と共に軽くストレッチ。
植物🪴にお水をあげて、
いい気分からスタートした。
そして
今日ずっと頭の中にあった願いを叶えた。

ようやく足を運べた。
行けないでなく、
行かない選択をしていた大好きなお店。
行かない選択を今日やめた。
行ったから
亡くなった愛犬のさくらとの思い出に触れる事が出来た今日。
寂しい思い出に触れるかもという思い込みから、
楽しかったあの時間が確かにあった。
という喜びを感じとった日。

何を思い受け取っても人生の喜びだ。
今日も満ちた日。
YUKIKO
