こんにちは。
YUKIKOです。
noteの方で沢山の方が読んでくださってるので、
こちらにも。
感情が段階で説明できない私の話
感情には段階がある、という考え方があるらしい。
けれど、私にはどうも当てはまりにくい。
怒りの次は悲しみ、
その次に受容。
そうやって順番に進んでいくものだと説明されるけれど、
私の中では、感情はそんなに単純な線では存在していない。
もっと立体的で、
奥行きがあって、
深度があって、
点や形として、同時にそこにある。
色があり、
温度があり、
無数のイメージが一瞬で脳裏に焼き付く。
記憶はさらに五感と結びついて、
匂いや音、肌感覚と一緒に残っている。
それは私を苦しめる鎖というより、
いい意味で縛ってくる何かだ。
だから、
「今はどの段階ですか?」
と聞かれると、少し困ってしまう。
進んでいないわけでも、
止まっているわけでもない。
ただ、最初から多層で存在しているだけ。
これを説明しようとすると、
たいてい「分からない」と言われる。
たぶん、言葉の回路が違うのだと思う。
私の中では、
感情はまず感覚として存在して、
像になり、
点のように脳に格納される。
そこから言葉に変換できることもあるけれど、
できないもののほうが多い。
でもそれは、
未消化でも、未熟でもない。
ただ、
言葉になる前の純度が高いまま保存されている
というだけ。
感情をきれいに整理できない自分を
責めている人がいるなら、
伝えたい。
説明できない感情も、
ちゃんと存在していい。
段階に当てはまらなくても、
物語にならなくても、
理解されなくても。
言葉にならないからこそ、
深く、確かに、そこにある感情もある。
わからない、で終わっていい世界がある。
もしあなたの内側にも
色や温度や奥行きだけが残っていて、
うまく言えない何かがあるなら。
それは欠落ではなく、
あなたの感受性の形なのかもしれないです。
無理にほどかなくていい。
無理に説明しなくていい。
そのまま、
静かに在っていい。
陰を極めてきた私からのお裾分けです😆







