この世界を、まだ生きていたい。
明後日に50歳になる。
気をつけていても
遺伝的なもの、
理由なきものは存在して、
7月に皮膚癌が見つかった。
今日、がんの経過観察に行ってきた。
経過は順調だった。
病院を出ると、秋の風が心地よかった。
あぁ、今日も私はこの世界を生きている。
そして、私はこの世界をまだまだ生きていたい。
ふと頭にそんな言葉が浮かんだ。
最近、
命について考えることがまた増えた。
けれども、
がんという言葉が自分の人生に登場したことで、何かが少し変わった気がする。
今までだって、
命には限りがあることを知っていた。
大切な人を失ってきたから。
いやと言うほど向き合った。
その要因の一つに、
自然な死を感じられなかった故の宿命なのかもしれない。言葉にするならトラウマというやつだ。
命が永遠ではないことも、
明日が必ずやってくるわけではないことも。
頭では、十分すぎるほど知っている。
でも、
自分の身体にがんが見つかるという経験は、
また違うものだった。
これからも検診がある。
結果を待つ時間もある。
また何かが見つかったらどうしよう。
そんな怖さだってちゃんとある。
そして最近はこう思う。
私は、
今あるものをちゃんと見られる私でありたい。

まだ起きていない未来を心配して、
今ここにあるものまで見失いたくない。
怖いものは怖いし、
不安なものは不安。
それでいい。
本当にそれでいいのだ。
ただ、その不安の隣には、
今日もちゃんと私の日常がある。
朝の空。
温かいご飯。
好きな本。
毛糸に触れる時間。
誰かと笑い合うこと。
窓から差し込む光。

なんでもないような一日。
でも、
なんでもない日なんて本当はどこにもない。
そんなことを考えていて、
ふと気づいた。
私はかつて、
この世界がどうでもよくなったことがある。
大切な人を失い、
生きることさえ苦しかった頃。
世界はただ眩しくて、
自分だけが取り残されているようだった。
生きていることに、
喜びなんて見つけられなかった。
あの頃の私は、
この世界に何を望んでいたんだろう。
そして、今。
私は、この世界を生きていたいと思っている。
私は、まだまだ生きたいんだ。
そう気づいた。
30年前に
世界がどうでもよくなり、
世界を手放した私が、
この世界を生きる事を望んでいる。
失ったものが戻ってきたわけでもない。
これからだって、
きっと寂しいことはある。
大切な人を見送る日も、
自分の身体と向き合う日もあるだろう。
それでも。
私は今、
この世界を愛おしいと思っている。
もっと見たい景色がある。

行きたい場所がある。
読みたい本がある。
編みたいものがある。
会いたい人がいる。
自分の人生を、
もっと自分のために生きてみたい。
かつて世界がどうでもよくなった女の子が、
今は、この世界を愛し始めている。
なんだか、すごいことだ。
人生は、何が起こるかわからない。
だから怖い。
でも、
何が起こるかわからないから、
まだ出会っていない喜びだってある。
私は、
これからも今あるものを見ていたい。

なくなることを恐れて、
今ある喜びを見逃したくない。
そして、もし悲しい日が来たら、
その日はちゃんと悲しもう。
不安な日には、
不安な私がいていい。
それでも、
今日という日を生きている。
生きることが、こんなにも愛おしい。
もうすぐ50歳。
ようやく私は、
この世界を生きていたいと思えるようになった。
それでも人生は美しい🌙YUKIKO



