愛犬さくらが亡くなり9回目の今日。

日にちなんか
覚えておかなくてもいいのかな?
ふと思考が入った。


何も考えなくても
自分が日常的に思っているから、
命日という日付と言葉が脳裏に上がってくる。


肌に触れなくなって、
抱きしめられなくなって、
忘れてしまう瞬間もあって、
でも泣く瞬間もあって。

毎日何かしらさくらの名前を思ったり、
話したり、ノートに書いたり、している。


会いたい気待ちは
ずっと変わらない。

そして
さくらのいない家にいるとその静けさに
ふと寂しさを覚える。


体調を崩した時は、必ずそばにいて、
肌の温もりがわたしを癒してくれていた。

存在にどれだけ助けられていたかは計り知れない。


命には限りがあって、
いつか自分の存在も消える。


そんな当たり前のような話が、
最近私の中でよくあるのだ。


日常に変化が訪れる。


日々が同じように過ぎていることはなく、
全てが影響しながら
見えるものも見えないものも、
同じように変化がある。


良くも悪くも
誰しもが変化があることは変わらないこと。


今日の自分は今日の私。
明日の自分は明日の私。

今を感じる時には、
いつだってその瞬間は過去になってしまう。


それでも
ちゃんと今を感じたい。


毎日何を思ってもいい。
何を感じてもいい。

私は今日のわたしだから。


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明日もまたさくらを思う。
ふと名前がでる。


ちょっと泣くかもしれない。

そして笑うかもしれない。


それでいいのだ。


そして私は大満足するだろう。

YUKIKO


日々は輝き続ける。

今日の快晴。



お天気が良く、
空気が澄んでいた今日。



恐ろしく暑い今日を過ごしている。


朝はノートを開いて自分を知る。



勝手に浮かんでくる感情。




今日のこと。




そして毎日なにかしら予定があること。

忙しいとか面倒とか、
そういったことが普通でない。





日常が普通でない。


当たり前でない。


太陽が出ていてお日様に当たれることも普通でない。





誰かと食事をするのも普通でない。


どれだってなんだって普通でない。

 

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やり直しをすると決めた。

普通なのにどれも普通でない。




当たり前でない。




買い物に行く、

そしてお茶をしてお気に入りのカフェで今日はお茶をした。





当たり前のことは何一つない。

普通なんかひとつもないのだ。




だが
わたしは普通として日常を捉えてすごしていた、

そう思っていたし、そう感じていた。


 

当たり前だって。

 

だけど、
病人になったこの三週間でまた
深くそれを思い知った。




当たり前でなく普通でないことを。


そしてそれを知り、
今日の私は昨日より豊かになれた♡




そして明日は愛犬の命日9回目。



何を思うのか、何を感じるのか。
とても楽しみだ。




そして気づいたこと。
怖さは楽しみになり、深さになっている。





普通なんてどこにもない。
毎日普通なんかじゃないよ。




毎日ありがたい。
今日も良い日。

YUKIKO

 

繊細さがある人は、
心が触れたときに涙が出たり、
心の機微を感じやすかったりする。


ときには、ふいに涙が出る。



太陽の眩しさに感動したり、
誰かの辛そうな気持ちに同調して、
自分の心まで揺れたりする。


小さい頃、そんな時間をよく過ごしていた私は、
自分が他者と違うことに違和感を覚えていた。


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お花🌸一期一会♡



「すぐ泣く」と、
世の中がそう定義してきたから。



ただ、それだけなのに。


泣くことは弱さだと排除され、
笑う人もいた。


そんな経験から、
「泣いたらいけない」と学習をした。


感情が動くことも、
涙が出ることも、
自分の弱さ。と決めてしまっていた。


私は、私自身をそう定義してきた。


でも、今なら分かる。


感情の揺れは、
私の感覚の奥行きだった。


生きる事の色を、
微細に感じ取れる能力だった。


「ダメ」としてきた私は、
私ではなかった。


だから、苦しかったんだと思う。



繊細さは、治すものじゃない。
攻略するものじゃない。

大いに感じればいい。


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その分だけ、
人生を感じ取れる振り幅がある。


弱さじゃない。

毎日を感じることができる、
人生のセンサーが、
ちょっと高性能なだけ。(笑)



生きるって、
本当はそんなに難しくない。


自分を知ればいい。

今日も、良い日☺️

YUKIKO