愛犬さくらが亡くなり9回目の今日。
日にちなんか
覚えておかなくてもいいのかな?
ふと思考が入った。
何も考えなくても
自分が日常的に思っているから、
命日という日付と言葉が脳裏に上がってくる。
肌に触れなくなって、
抱きしめられなくなって、
忘れてしまう瞬間もあって、
でも泣く瞬間もあって。
毎日何かしらさくらの名前を思ったり、
話したり、ノートに書いたり、している。
会いたい気待ちは
ずっと変わらない。
そして
さくらのいない家にいるとその静けさに
ふと寂しさを覚える。
体調を崩した時は、必ずそばにいて、
肌の温もりがわたしを癒してくれていた。
存在にどれだけ助けられていたかは計り知れない。
命には限りがあって、
いつか自分の存在も消える。
そんな当たり前のような話が、
最近私の中でよくあるのだ。
日常に変化が訪れる。
日々が同じように過ぎていることはなく、
全てが影響しながら
見えるものも見えないものも、
同じように変化がある。
良くも悪くも
誰しもが変化があることは変わらないこと。
今日の自分は今日の私。
明日の自分は明日の私。
今を感じる時には、
いつだってその瞬間は過去になってしまう。
それでも
ちゃんと今を感じたい。
毎日何を思ってもいい。
何を感じてもいい。
私は今日のわたしだから。

明日もまたさくらを思う。
ふと名前がでる。
ちょっと泣くかもしれない。
そして笑うかもしれない。
それでいいのだ。
そして私は大満足するだろう。
YUKIKO


