こちらの更新は、『四月 会食倶楽部 ~花まつり~ その三』 に続くものです。

大変恐縮ですがが、長いため、何回かにわけて、更新させていただきました。

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『クラスの後の余談 ①』




長年、好きで読ませていただいている方のブログがあります。異なる分野で、大変説得力のある洗練されたブログを更新されておられます。その方が先日、やはり思うところがおありになったのか、ご自身のポリシーを綴っていらっしゃいました。


考え方が非常に似ていたこと、さらにそのお方もやはり「確認に確認に確認、そして検証をしてからでなければ、やはり発言すべきではない」と記されておられ、それまでその方が綴られてきた文章に、確かさと信頼が期待できたことに、大変納得いたしました。


さらに、もともとはメディアご出身でいらっしゃることも知り、

ハリボテの方の表も裏もみてきたこと、軌道にのる人もいるけれども、「これからの情報化社会ではそんなことは通用しません。させてもいけない」と綴られておられ、とても説得力があり、励みにもなり、また自分自身にとっても大変緊張が伴う刺激にもなりました。


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情報に溢れた時代になりました。でもこれからの時代、得た情報が正しいのか否かをジャッジできることが大切であると、昨今、私もクラスでは重々皆さんにお伝えしております。発信している相手を見極めていくことも求められるようになるでしょう。


「マナー講師」という立場で、テレビや雑誌といったメディアを通じて発信されているものの中に、「?」と思うこと、私もけっこうあります「いつからマナー講師は、こんなにも複合的(マルチ)で、なんでもお答えできますという立場になったのだろう」とも・・・・・・(むしろ、そんなスーパーマン、スーパーウーマンはうさん臭い)ここに、分をわきまえる、発信している人が自分自身の「身の程」について、どのように捉えているのかが、あらわれると思います。


ちなみに、私は現在、取材を一切お断りにしております。その理由の一つとして、フェイスツーフェイスでお伝えできる間柄を大切にしているから。その時の空気感、話し方、伝え方にこめたニュアンス、そのようなことも、直接だからこそより伝わるものがあり、また感じ取り方にも、マスに向けた場合とは、大きな異なりが出るものです。そして、何か生じた時にも、ダイレクトに伝えられる関係性が期待できるからでもあります。


たとえ正しく伝えていたとしても、伝え方(スキル)、聴き方(スキル)によっては誤解が生じることもあり、雑誌、テレビの編集の在り方によっては限界もあるものです。面識のない方々にメディアを通じて発信するということは、発信する内容に正確さは勿論のこと、それだけスキルもセンスも求められ、見聞きしている人は全て批評家であるぐらいの覚悟も必要。責任重大です。自分の専門分野に対する自覚があるのならば、「分をまきまえる」ことに繋がり、それを超えた時点で何かしらの「欲」が張ることになり、無理が生じることにもなります。


先の方が、様々なオファーがある中、いくつかは、その方が推薦する方に振り分けられたと記されていました。「そのほうが向いている」と。そのようにおっしゃっているところに、一層信頼が寄せられます。


私もテレビで、同じ職業の方が不可解な解説をされる度に、思ってきました。「なぜ、オファーがあった時点で、『もっと適切な方へご依頼ください』と言わないのだろう」と。そもそも、オファーする側が、なんでもかんでもマナー講師に尋ねるという時点で、短絡的でもあるのですが・・・・・・。


大変自信たっぷりに不可解な解説をされている様子は、見る人が見れば非常に滑稽に映るものです。無知さの自覚がないからこそのドヤ顔、これぞまさに「恥じらいのなさ」のあらわれです。



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「これもできます」「こんなことも答えられます」「更に、こんなこともできちゃう私です」。それら全てに対して、誰もが感服するほどの優れたアウトプット力を発揮してくれるのならばいいのですが、どれも実は中途半端だからこそ、「あれもできます、これもできます、さらにはこんなこともできます」という、「何かしらにひっかかればいい」というアピールになっていなければいいなと思っておりますし、「あれも、これも、こんなことも」というアピールは、「優れた才能」と、誤解されていないことを、願うばかりです。


マナーに関しては食の場に特化させ、食事をしながら教養を深めていただくだけでも、教える側の勉強量、インプットに割く時間、そしてテキストに正しくまとめる時間は、相当なものです。だからこそ、マルチ的な対応力を発揮されるマナー講師の方々は、寝る間もないほど大変なことと思います。懐疑的な発言があった場合は、その状況をせめて察することに努め、「きっと寝ぼけていらっしゃるのだわ」と思うようにもしております。

 

しかしながら、マナー講師は、何かと手がかりにされる立場でもあるため、やはり誤った認識が広がらないためにも、発信する側には、そこの期待に対する高い意識と自覚を求めたく、人選は、確かなものであってもらいたいものです。



矢印矢印矢印矢印矢印 『クラスの後の余談 ③』