かつては水運で栄えた歴史のある町、菖蒲町
の第4弾(最終回
)です。
実は幸手も水運で栄えていたんですよ。知ってましたか
(かつて取材していますので)それは、こちらをクリック
さあ、ノスタルジック菖蒲町を歩いてみましょう
江戸(享保)時代の見沼代用水路の水路の完成によって、上流の行田(市)から江戸を結ぶ一大通船掘としても利用されました。
当時の菖蒲は、各宿との地の利がよかったことから、船で運ばれる上流地域からの物資と江戸から下る物資の集散地となり「菖蒲河岸」が置かれるようになりました
【中心市街地の通りです(奥が河岸です)】
細い道沿いに商店が建ち並んでいます。
この通りは仲町通りと呼ばれています
幸手と同じように、古い商店街には必ず残っていますね
このお店は、根岸製麺所さんです。
通りの終点(見沼代用水方向)に行くと、こんな建物が
実際の河岸(荷を上げ下げする所)は、(このあたり)あやめ橋付近に置かれ、近隣の久喜、加須、騎西、行田、桶川などへの物資の供給地として重要な役割を果たすようになります。
ということはこの建物は当時の遺構を残す貴重な建築物なんですね
ちなみに、塩問屋(専売公社)と聞きましたが…。
中心商店街通り(仲町通り)です
通船流通も、明治16年の中山道鉄道(現高崎線
)と、同18年の東北線(現
宇都宮線
)の開通で、徐々に鉄道にとってかわられるようになりました…
水運で栄えた街は、やがて鉄道が敷かれると、衰退せざるを得なく、取り残されていく切なさがあるんですよね…
改築しても、昭和建築の雰囲気が残りますよね
でも、数年前に閉店した時計店です。
屋号が逆読みなのが、歴史を感じます。
いつごろまで残っているのかな~
いかがでしたか 超大型店が出展した町ですが、非常に歴史のある町なんです。
歴史的な財産が中心部に残っています。これらを後世にいかにして残していくのかが大きな課題です。幸手もそうなんですが…。
※協力〓菖蒲町商工会