こんにちは 「ようよう坂町」
今日は1800年(寛政12年)閏4月19日、伊能忠敬が蝦夷地の測量に出発し
た日で、「地図の日」、そして「最初の一歩の日」とのこと。
私は43年前、初めての海外自転車旅行に出かけました。神戸から船に
のり横浜港経由でしたが、横浜港を出港したのが今日で、正に「最初の
一歩の日」かもしれません。その当時の日記には「さらば日本、6か月後
に帰ってくるとき、どんな姿で、私を迎えてくれるだろうか。」と記入してあり
ました。不安と期待が交錯していたことでしょう。
「かわいい子には旅を?」と、青春真っ只中の25才の時、何んと会社を
半年休職し、学生時代からの夢であった海外自転車旅行(オーストラリア・
ニュージーランド)に1人息子が一人で旅立ったその日なのです。
今は円安になったといっても、米ドルが120円、豪ドルが95円ですが、
その当時はアメリカドルが308円、豪ドルが400円の時代で超円安で
した。日本にとってはまだ肩身の狭い海外旅行でしたし、給料が5万円
の時、70万の自己資金と50万円の借入金と計120万円をかけた私に
とっては青春時代の一大行事でした。
持ち物は輪行袋に折りたたんだ自転車と唐草模様の大風呂敷に包んだ
荷物でした。
約200人ぐらいの船ということで、生ない生活は楽しく、友人がたくさんで
き、下船後の再会など、一人旅に大いに役立ちました。
一人旅が始まったのが、オーストラリアのブリスベン。それからシドニー、
余りにも広い国なので自転車で走るのが馬鹿らしくなり、メルボルン発着の
3週間で1万kmのキャンピングバスツアーに参加しました。途中エアーズ・
シドニーからニュージーランドのオークランドまでは飛行機、それからニュ
ージーランド一周、5079㎞を走破しました。
オーストラリアとニュージーランドの新聞に載りました。左の写真がオース
トラリアでの新聞。右の写真は、ニュージーランドでの写真です。
5枚の写真で左から2番目が最初で一番痩せています。左はキャンピング
ツアー後、ふっくらしています。ニュージーランドでは髪がだいぶ伸びてい
ます。一番右は日本に帰る前、散髪をした後です。
約6ヶ月余りの海外自転車一人旅は、今となっては考えられないようなことですが、若気の至りでしょうか。でもそれが縁となり、今の妻と結婚
ができたし、4人の子どもや8人の孫に恵まれた家族の今日があるのは、
正にこの旅立ちがあったからこそで、感謝ですね。
若い時にオーストラリア旅行をし、そのまま住みつく日本人の方も多い
中、私にもその可能性はありましたが、選択したのはより地元密着の生
活でした。そのどちらが幸せなのかはわかりませんが、43年前の「最初
の一歩」は、結果的には私の人生を大きく左右したようです。