今日は何の日?今日は長男34才の誕生日です。4人の子供のうち上二
人がお姉ちゃんで下が弟です。まだ結婚をしていませんでしたが、この6月
15日が結婚式で、ホッとしていますが、今準備で忙しそうです。
また、5月21日といえば、わが宗派浄土真宗本願寺派宗祖親鸞聖人様
の降誕(ごうたん)の日です。1173年5月21日(旧暦では承安4月1日)の
ご誕生で、今年で841歳になります。本山では盛大な降誕会が営まれてい
ることでしょう。
今日は2人の誕生日のほか、私の誕生日でもあります。私の実際の誕生
日は7月21日ですが、11年前のこの日、京都本願寺での帰敬式で法名
「釈道正」をいただきました。お釈迦様の子として誕生した日で、今日で満
11歳を迎えました。もう一つの誕生日ですが、まだまだ子どもです。
*法名・・・下記参照
わが宝海寺では一足先に宗祖親鸞聖人様の宗祖降誕会法要が営まれ
ました。
19日午後からと20日、21日午前、午後と計5回ほどご法座が営まれました。
降誕会を前にして、おみがき奉仕をしました。仏具のおみがきやお寺の境内
の清掃です。主には仏教婦人会の方ですが、男手として、仏教壮年会10名
の皆さんのお手伝いも含め、約60名が参加しました。
男手としては、中や外回りで高いところの清掃とかを担当しました。平日で
すからなかなか参加者が少ないのですが、私も参加しました。
ソテツの木も伸び過ぎているので、バッサリと切ってしまいました。切ったと
ころから新目が出るそうです。
清掃も終わり、幕を掲げて約1時間半でおみがき奉仕は無事終了です。
そして、いよいよ宗祖親鸞聖人の降誕会法要の日です。私は19日午後と
20日の午後と21日の朝お参りしました。ご講師を東広島市からお迎えし、
記念講演がありました。ありがたいお話を聞かせていただきました。
中日20日の午後席では、若婦人の皆さんによるハンドベルの演奏がありま
した。1番右がわが妻です。宗教歌とともに、おなじみの童謡などの演奏も
ありました。
法要の終わった後は同じく若婦人のバザーです。手作り作品の即売会です。みんなで作ったドーナツやクッキーもあります。
こうして早めの宗祖親鸞聖人様の降誕会も無事終了しました。
親鸞聖人の降誕をご縁にお寺とのご縁が多くありました。平素なかなかご
縁がない中、お寺参りを通じて心は“安穏”にそして心豊かになったような
気がします。いろいろな宗教があるでしょうが、ぜひ日頃からご縁をいただ
き、“安穏”の世の中になってほしいものです。
さて法名?戒名?とは・・・
浄土真宗では、本願寺で帰敬式を受けるとき、ご門主さまからお剃
刀を受け、「法名」を戴きます。法名は、俗名に対する仏教徒としての
名前のことで、他宗派では、出家受戒したときにつけられることから
「戒名」ともいわれることが多くありますが、浄土真宗は戒律を科せら
れることはありませんので、決して戒名とはいわず、あくまで法名とい
います。
二文字が法名の常識
法名の前には、誰でも必ず「釈」という文字が当てられます。これは
「釈迦」の「釈」で、お釈迦さまの弟子であることを意味します。いって
みれば、仏教徒としての姓のようなものです。その次に当てられる二
文字が法名です。よく、法名は長い方がありがたいと思われる風潮が
ありますが、浄土真宗の法名は二字法名以外はなく、すべて平等です。
なお、浄土真宗でも「院号」がつけられることがありますが、これは、宗
門の発展に貢献された方に、それを讃える意味で本願寺より下附され
るものです
法名は生前に
「法名や戒名は死んだ人につける名前じゃないの?」と思われる方
が多いかと思います。実はそれはまったくのうそです。自分の名前を
死んでからつける人がいるでしょうか。法名はあくまで生前にいただ
く仏教徒として名前です。それはどの宗派でも一緒のはずです。
「名は体を表す」といいますが、宗教的な名前を持つということは、
自分がどういう命を生きて行くのかという確認することといえます。
仏教は死んでからのものではなく、生きる者に「命の方向を教える」
ものです。行き先が分からないバスに乗る人はいないはずです。
例えその行き先を実際に見たことがなくても、自分がどういう所に行
くのかということが分かってないと、落ち着いて乗ることはできません。
法名をいただくということは、私の命の行く先をはっきりと定めること
なのです。