珍しい船形みこし「曳船」のルーツを探る研究委員会開催 | ウオーキングの町 坂町

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こんばんは 「ようよう坂町」


全国的にも珍しい船形みこし「曳船」のルーツを調査する委員会が、先日
横浜戸主会に設置されました。坂町史によると、「率船之儀産神八幡宮
に当浜より寄進いたし根元寛延2(1749)年7月船調其後宝暦元(1751)
年皆出来船蔵今うね之相建文政元(1818)年大工倉橋八兵衛新造相調
諸道調ここ」とあります。その起源は264年前で、その後70年ころには、
ほぼ今の形になったと思われます。また、江戸時代末期泉州堺に出稼ぎ
に行った人が堺住吉神社曳船の様式を伝えたものであろうといわれてい
ます。住吉吉神社の「神輿船」ですが、果たしてルーツなのでしょうか。
奥村 冨士雄さんの写真奥村 冨士雄さんの写真
曳船は、昔横浜の住吉神社の前から船で坂で上陸、神社に奉納されいて
いたとのこと。今は国道などを通り、八幡神社に行きます。多くの船頭と担
ぎ手によって、曳船は山にある神社に行き、お祓いを受けます。
奥村 冨士雄さんの写真奥村 冨士雄さんの写真
奥村 冨士雄さんの写真 奥村 冨士雄さんの写真
大船はいったん境内に上がると休憩を取った後、神殿に戦勝報告するた

め、音頭「かぶとぎん」で船が動き出します。ゆっくりした音頭にあわせて、

静かな海を航行するように、ゆったりと左右に揺れながら進んでいきます。

そして、いよいよ神殿に戦勝報告をし、神主さんよりお祓いを受けます。

の間、船首を神殿に突っ込み、船尾を左右にゆっくりと振ります。

船ですから、荒海を乗り越えるときは、船首を上げ、波を乗り越えてから
は船尾を上げ、前に進んでいきます。道中穏やかな海の時は左右にゆっ
くりと振って進みます。
小船は横浜小学校5~6年生が担ぎますが、後継者育成のため、平成
元年に戸主会がつくり、学校へ寄付しています。5月の運動会では曳船
の演技があります。
奥村 冨士雄さんの写真奥村 冨士雄さんの写真
奥村 冨士雄さんの写真

町内で最古の神社八幡神社(1260年鎮座)の秋季例大祭奉納に向けて、

横浜港を出発した「曳船」は、担ぎ手、世話人、役員を含め総勢200人

りの大船団となり、後ろには参拝者を引き連れ、「曳船」とともに、祭り

が始まり、「曳船」が帰るとともに、祭りが終わるといわれているほどです。


以前は「率船」でしたが、今では「曳船」。鉄砲や槍をつんだ軍船なのです。

船ですので、波を切って海の上を進むということで、ブルーの飾りは波を表

ています。
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曳船の船体の内部です。太鼓をたたく人が一人乗ります。
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曳船は、1,749年建造(今の船は平成5年建造)で、元は「率船」ともいわれ、

船尾には武内宿禰の刺繍のある飾りがあります。武内宿禰は、古事記で

は「建内宿禰(たけしうちのすくね)」、日本書紀では「武内宿禰(たけのうち

のすくね)」と記されています。

伝説では、実に360歳という長寿を誇る怪物的な存在です。それにちなん

で延命長寿の神さまとして知られています。また、不思議な霊能力を発揮

する武運長久、厄除けの神さまでもあります。

「古事記」には、大和朝廷初期に大臣として活躍したという伝説的な人物

で、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代の天皇に244年間も使えたと記さ

れており、大変長寿なお人であります。したがって以前は聖徳太子よりも人

気があって、明治から昭和の戦前まで何度か紙幣の図柄に使用されている

ほどでした。蘇我氏や葛城氏の先祖とされる人物で蘇我馬子一族をモデル

武内宿禰という伝説的な存在は、天皇の中心として古代の政治で重要な役

割を果たしたわけで、そこから”日本初の宰相”と崇められるようになったの

です。 船の名前は「神宝丸」といいます。
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軍船で船団を率いるイメージのようでした。その関係で刀や弓矢、鉄砲など

の武器の飾りが随所にあります。飾り付けが終わった「曳船」です。
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「曳船」のルーツについては、1749年、堺住吉神社からが起源ということで、

伝わってきましたが、それが本当かどうか、検証のため、来年は堺住吉神

社大祭には視察に行き、ルーツを尋ねる予定です。

現在は「曳船」は横浜戸主会が所有し、事業の継承をしていますが、小学

校の協力により、小船を継続することによって、後継者を育成するとともに、

地域ぐるみで、「曳船」の伝統文化を今後とも継承し続けて行かなければ

なりません。そのためのルーツ研究委員会設置です。