こんばんは 「ようよう坂町」




め、音頭「かぶとぎん」で船が動き出します。ゆっくりした音頭にあわせて、
静かな海を航行するように、ゆったりと左右に揺れながら進んでいきます。
そして、いよいよ神殿に戦勝報告をし、神主さんよりお祓いを受けます。
その間、船首を神殿に突っ込み、船尾を左右にゆっくりと振ります。














町内で最古の神社八幡神社(1260年鎮座)の秋季例大祭奉納に向けて、
横浜港を出発した「曳船」は、担ぎ手、世話人、役員を含め総勢200人
余りの大船団となり、後ろには参拝者を引き連れ、「曳船」とともに、祭り
が始まり、「曳船」が帰るとともに、祭りが終わるといわれているほどです。


以前は「率船」でしたが、今では「曳船」。鉄砲や槍をつんだ軍船なのです。
船ですので、波を切って海の上を進むということで、ブルーの飾りは波を表
しています。
曳船の船体の内部です。太鼓をたたく人が一人乗ります。
曳船は、1,749年建造(今の船は平成5年建造)で、元は「率船」ともいわれ、
船尾には武内宿禰の刺繍のある飾りがあります。武内宿禰は、古事記で
は「建内宿禰(たけしうちのすくね)」、日本書紀では「武内宿禰(たけのうち
のすくね)」と記されています。
伝説では、実に360歳という長寿を誇る怪物的な存在です。それにちなん
で延命長寿の神さまとして知られています。また、不思議な霊能力を発揮
する武運長久、厄除けの神さまでもあります。
「古事記」には、大和朝廷初期に大臣として活躍したという伝説的な人物
で、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代の天皇に244年間も使えたと記さ
れており、大変長寿なお人であります。したがって以前は聖徳太子よりも人
気があって、明治から昭和の戦前まで何度か紙幣の図柄に使用されている
ほどでした。蘇我氏や葛城氏の先祖とされる人物で蘇我馬子一族をモデル
武内宿禰という伝説的な存在は、天皇の中心として古代の政治で重要な役
割を果たしたわけで、そこから”日本初の宰相”と崇められるようになったの
軍船で船団を率いるイメージのようでした。その関係で刀や弓矢、鉄砲など
の武器の飾りが随所にあります。飾り付けが終わった「曳船」です。
「曳船」のルーツについては、1749年、堺住吉神社からが起源ということで、
伝わってきましたが、それが本当かどうか、検証のため、来年は堺住吉神
社大祭には視察に行き、ルーツを尋ねる予定です。
現在は「曳船」は横浜戸主会が所有し、事業の継承をしていますが、小学
校の協力により、小船を継続することによって、後継者を育成するとともに、
地域ぐるみで、「曳船」の伝統文化を今後とも継承し続けて行かなければ
なりません。そのためのルーツ研究委員会設置です。