こんばんは 「ようよう坂町」
れた広島市の焦土にいち早く咲いた花で、 市民に復興への希望と光を
与えてくれた』という事で1973年(昭和48)文化の日11月3日にキョウチク
トウが‘広島市の花’に選ばれています。
原爆ドームを背景にした平和公園内の夾竹桃です。
そして平和公園内に入ると、珍しいオレンジ色の夾竹桃があります。
平和公園は元安川と本川に挟まれてあり平和公園の南、平和大通りに面
した元安川沿いにある大きな夾竹桃の花は白色です。夾竹桃の向こうは
元安川にかかる平和大橋。渡ると右側に広島県商工会連合会があります。
爆心地の平和公園とその周辺は、まさに広島復興のシンボルとし
ての夾竹桃のメッカといえるのではないでしょうか。これだけたくさんの夾
夾竹桃は有毒な防御物質を持ち、乾燥や大気汚染に強いため街路樹など
に利用されます。ディズニーランドの駐車場などの植え込みにも使われて
いますよ。
広島誕生のもとになった広島城が築城されたのは1599年とのこと。400
年余りの歴史がありますが、戦国武将毛利元就の孫の輝元が築城しまし
夾竹桃は、しかし、広島市の花に指定されていますが、花、葉、枝、根、
果実すべての部分に毒性があり、燃した煙も毒があります。
学校では夾竹桃の毒性についてほとんど教育がなされていないようです。
花ことばは「用心、危険、油断しない」ということですから、気をつけたいも
のです。ピンクの他に、赤や白の花もあります。
夾竹桃は、日本へはインドより 中国を経て江戸時代中期に伝来し、葉
が竹に似ていること、花が桃に似ていることからこの名がつきました。
以前、中国上海市内魯迅公園を訪れた時、夾竹桃を見ることができまし
た。夾竹桃は中国から日本に伝わっているので、いわゆるルーツです。
日本と同じ濃いピンクの花です。
「夾竹桃」は6月から9月まで咲き続ける花との説明がほとんどですが、実
は「夾竹桃」は、ずっと咲き続けているわけではありません。
何と5月下旬から、咲いては散り、咲いては散りを3回繰り返し、11月下
旬までの約6ヶ月間も楽しませてくれる花なのです。したがって「原爆」後に
さいた夾竹桃は、今どきの花でなく、2回目の開花ということになります。
人生にたとえるなら、人生3回花が咲くと思えば、救われる方も多いので
はないでしょうか。たとえ1回、2回と失敗しても、3度目には花が咲くと考
えると気が楽になりませんか。
日本人はえてして咲いてパッと散る桜の花が好きですが、目立たないが、
寒い冬にじっと耐え、花開き、厳しい暑さにも負けず、3回も自分を表現す
る。そんな「夾竹桃」。
それと人生を重なり合わせてみるとおもろいではありませんか。
「夾竹桃」にもっと注目して欲しいですね。