こんばんは 「ようよう坂町」
遅くなりましたが、坂八幡神社への「曳船」奉納の続きです。
横浜地区から平成ヶ浜地区を通り、坂地区に入っていきますと、坂恵比須
神社前には森浜地区の屋台が待っています。そこでいったん休憩です。
森浜地区とは協力関係があり、この休憩を利用して、恵比須神社で友好の
しるしとして目録の交換を行います。
中には生鯛1千尾、清酒1千樽と書いてありますが、もちろん目録だけです。
お酒の交換です。そしてお神酒をいただきます。
この後「曳船」はしばしの休憩の後、いよいよ新しい大船頭のもと、坂八幡
神社奉納に向けて、神社参道へと進んでいきます。
音頭は道中唄(宮島いんげ)で、小船を従えての出船です。
神社へと続く参道は現在、マンションや新興住宅地となっていますが、以前
その間は田んぼで、左右で田んぼに落とし合いをしており、泥だらけになっ
ていました。神社前の御手洗い(お手洗いでなく、みたらいです)というところ
で一休憩します。
町内で最古の神社八幡神社(1260年鎮座)の秋季例大祭奉納に向けて、
横浜港を出発した「曳船」は、担ぎ手、世話人、役員を含め総勢200人余
りの大船団となり、後ろには参拝者を引き連れ、「曳船」とともに、祭りが始
まり、「曳船」が帰るとともに、祭りが終わるといわれているほどです。
休憩の間に、神社にお参りしてきました。昨年度玉垣の寄付があり、戸主会
御手洗で一旦休憩した後、再び出船です。ここから鳥居下までは、町長さん
も恒例により船首の先頭で担ぎ手に加わります。
小船を従えて、いよいよ神社鳥居をくぐります。
ここからは石段を上りますが、危険防止のため、曳船からのロープを神社
境内の石柱に結び付け引っ張ります。今度はこの役が森浜地区の人たち
です。協力をしあいます。
51段の石段は狭く急なので、担ぎにくく、肩から落ちてしまうと危険なので、
懸命に持ちこたえています。
やっと無事に境内に上がってきました。
大船はいったんここで休憩ですが、小船は交代しながら、奉納をしていき
ます。
奉納が終わりますと、荒波を超えていく姿を表現し、もんでいきます。
観客の皆さんからは拍手が起こります。
休む間もなく、石段を下りていきます。
御手洗まで行き、そこで大船が来るのを待ちます。
大船はいったん境内に上がると休憩を取った後、神殿に戦勝報告するた
め、音頭「かぶとぎん」で船が動き出します。ゆっくりした音頭にあわせて、
静かな海を航行するように、ゆったりと左右に揺れながら進んでいきます。
華麗なる姿です。
そして、いよいよ神殿に戦勝報告をし、神主さんよりお祓いを受けます。そ
の間、船首を神殿に突っ込み、船尾を左右にゆっくりと振ります。
戦勝報告が終わり、お祓いを受けた後、曳船は神殿から離れます。次は
隣にある「新宮社」へ奉納です。
「新宮社」でお祓いを受けます。
お祓いが終わった後、「かぶとぎん」の音頭が終ります。音頭が終わると、
ほら貝の音で、静かな優雅な動きは、一転スピーディになり、荒海を突き
進む曳船の姿を表現します。
荒波を前から受ける時は、船首を上げてほとんど動きません。高波の上に
のった時は、腕を伸ばしゆっくりと前へ進みます。
荒波を後ろから受ける時は、船尾を上げ、船首を地面にすりながら、一気
に前進します。下手をするとけがをします。動きが早いので、船頭などは特
に気を使います。
雨がしばらく降っていないため、砂埃がすごいです。
荒波を乗り越える動きを3回ほど行い、荒波をのり越えていきます。さすが
最後は疲れましたのでしょうか、前の担ぎ手は転んでいましたよ。
やっと荒波を乗り越え、いよいよ帰船です。ホラ貝、大船頭の先導で石段
を下って行きますが、この辺りでは疲れもピークとなっています。
最後の関門の石段です。危険防止のため、ロープでくくってはいますが、
疲れもピークとなり、肩は痛く、肩が外れそうになります。
ここで一旦どちらかの肩が落ちますと、手や足を石段との間に挟まれ、
けがをすることになりますので、緊張が走る瞬間です。
無事石段を降りると、鳥居の手前でロープが外され、鳥居をくぐっていき
ます。そして最後の休憩地の御手洗に到着です。
休憩後、横浜港へ向けて「曳船」は帰っていきますが、その後に森浜の「屋
台」が続きます。そのロープを引っ張るのは、今度は「曳船」の皆さんです。
最近は特に子どもたちに担当してもらっています。協力し合いことの大切さ
最後ののぼりはスピードをかけてのぼるので、大人と交代です。無事屋台
も帰ってきました。
帰路は往路と違ったコースの子育て支援住宅などの県営や町営住宅前を
進んでいき、出船式のあった場所へ無事帰ってきました。小船は小学校へ
帰りました。今年の後片付けの担当は3部地区の皆さんです。
飾りはお寺で干し、翌日の片付けとなります。「曳船」はブルーのシートで覆
い、保存庫へ納めます。
飾りを片付け、船を納めた後、全員130人で打上げです。(子供は除く大
人のみ)、場所は宝海寺です。これだけの人数が入る場所が横浜地区に
はないので、お寺を使っています。神社のことでお寺を使うのは変ではあ
りますが・・・。実行委員長、大船頭のねぎらいの挨拶です。
例年途中で担いでいただく坂町長さんにご来賓のご挨拶をいただきました。
そして副実行委員長の音頭で盛大で無事の奉納を慰労し乾杯です。
無事奉納が済んだ安心感と満足感でいっぱいで、大いに盛り上がりました。
こうして、「曳船」が無事盛大に奉納できたのも、船頭さん、役員さん、担ぎ
手そしてご寄付をいただいた方々の皆さんのお陰です。ありがとうございま
した。そしてご苦労様でした。1749年が起源といわれる曳船は<幾多の年
月を経て、今日に至っています。現在は横浜戸主会が所有し、事業の継承
をしている曳船ですが、小学校の協力により、小船を継続することによって、
後継者を育成するとともに、地域ぐるみで、「曳船」の伝統文化を今後とも
継承し続けて行かなければなりません。