おはようございます。 「ようよう坂町」
今各地で秋祭りの季節ですが、わが坂町でも昨日坂八幡神社の秋祭
りがありました。町内7地区からそれぞれ違った寄進ものが奉納されま
すが、わが横浜地区からは、漁業や海運の町として栄えた歴史の上に
建造された「曳船」が奉納されます。1749年頃が起源ということですか
ら、263年余りのの歴史です。24年前には小学生を対象に「小船」も建
造され、大・小「曳船」は役員も含め、約210名近い方々の横浜地区の
「力」で伝統の「曳船」が奉納されます。朝6時30分から飾り付けなどの
準備を行い、9時前に完了。出船を待つ「曳船」です。
飾付けが終わったころから、横浜戸主会の役員さんが集合し、寄付の受
付開始です。曳船の奉納や打上げにかかる経費は、若干の文化財保存
の町補助金以外は全て寄付で賄います。寄付者名は貼りだします。
この後、11時40分に大船、小船の船頭、担ぎ手が集合し、11時55分か
ら出船式を行い、12時15分に坂八幡神社へ向けて出港して行きます。
いよいよ祭りにやってきたなとの緊張感が走ってきます。新しい大船頭の
出船を前にして、横浜小学校から小船が到着です。5~6年生男女76名
と校長、教頭先生を始め、先生方、保護者の方26名が子供たちのお世
話をします。
出船式は午前11時55分、横浜西地区の坂横浜港で、横浜戸主会長さん
のあいさつで始まり、次は今年初めて就任した大船頭さんのあいさつです。
次いで大船頭を補佐する船頭補佐さん8人の紹介です。そして道中の安
全航海を祈っての乾杯です。乾杯の音頭は副会長さんです。
沿道にはたくさんのお見送りの人が来ており、一緒に振る舞い酒で乾杯
です。孫も見送りに来てくれました。
出船式が終わると、いよいよ出船です。音頭が出船音頭を歌い始めると、
まず小船の出船です。小船は今から24年前、曳船を担ぐ若者が減り始
めたころ、子供たちにも伝統行事である曳船に関心を持ってもらうためと、
子供たちが若者になった時に担いでもらおうと、戸主会が2分の1の小船
をつくり寄付したものです。今では小学校の運動会でも曳船は、恒例のプ
ログラムとなっていますし、今担いでいる若者たちのほとんどは、小船の
経験者です。担ぎ手は両肩で26名。6班に分けて交代で担ぎます。
次いでいよいよ大船の勇壮な出船です。担ぎ手は総勢50人余り、それに
小船頭船頭補佐、大船頭が20人余りで水先案内をします。 最近の若者
は、肩を使うことがないので、肩で担ぐのはかなり厳しいようです。
小船と大船が一堂にというのは、この出船のときだけで、まさに勇壮で迫
力のある瞬間です。
まず、小船がもみ始めます。船が海を行く姿を表現しますので、大波の上
に乗った時は、手を伸ばし、頭上にあげ、波に押される時は、船尾をあげ
前に前に素早く進みます。波に乗る時は船首をあげ、ゆっくりと進みます。
いよいよ大船のもみが始まります。船の横揺れは沈没(けがをする危険が
ある)するので厳禁ですが、つい方が痛くなり、肩が外れます。これをいか
に持ちこたえるかです。波に乗る時は、船首をあげてゆっくりと前へ進み
ます。波から降りる時は、船尾をあげて素早く前に進みます。
波が鎮まったところでいよいよ坂横浜港を出港です。無事の帰船を祈って
います。
神社までの道中が長いので、現在では台車にのせて引っ張って行きます。
随分昔は船に乗せ、役場の近くの総頭川河口まで運んでいたそうです。
また以前は道中担ぎっ放し(私たちが若いころ)ということもありましたが、
現在では台車で運びます。
伝統の曳船が新しいまちの平成ヶ浜地区のパルティ・フジを通り、来店客
へのPRもします。新興住宅地の平成ヶ浜地区を通り、役場前の国道31
号、JR呉線を横切り、いよいよ神社のある坂地区に入っていきます。
坂恵比須神社前には森浜地区の屋台が待っています。森浜地区とは協力
関係があり、恵比須神社で友好のしるしとして目録の交換を行います。
中には生鯛1千尾、酒1千樽と書いてありますが、もちろん目録だけです。
お酒の交換です。そしてお神酒をいただきます。
この後「曳船」はしばしの休憩の後、坂八幡神社奉納に向けて、神社参道
いよいよ新しい大船頭のもと、神社への奉納に向かいますが、その紹介
は次回とします。