こんばんは 「ようよう坂町」
今日は「第96回さかサンデーマーケット」と「第45回ようよう坂町ウオー
キング」の日です。月イチウオーキングの今回は広島文化学園大学が
担当です。9時30分大学の先生のあいさつで開会です。私は今回コー
スの案内役です。好天に恵まれ、大学をスタートで、35人が参加です。
坂駅から図書館前を歩いていきます。
今回のウオーキングは「坂町歴史探訪ウオーク」です。2週間前にコース
を下見しました。途中手づくり倶楽部がありました。本業は建築屋さんで
すが、ミニチュアの建物を作成、展示しています。
以前テレビで紹介されました。それまでは気が付きませんでした。今回
町内の参加者もいましたが、初めて見たという人もいました。
まず最初は姫宮社です。姫宮社…1556年 伊勢皇太神宮の御分霊を勧
請し字浜田の地に鎮座、その変遷し現在地に昭和39年移転しています。
それを過ぎると、役場が見えます。
次は恵比須神社です。1556年宮崎沖海浜に勧請。その後変遷を経て
昭和39年現在地に遷座。
そして、先週秋祭りが行われ、多くの人でにぎわった八幡山八幡
神社です。1260年鎮座。1558年頃現在地に遷座、1652年社殿再建以
来変遷を経て明治13年拝殿が再建され、平成元年修復されています。
なかなか神殿の中に入ってみることができないので、皆さん珍しそ
神殿内にはいろいろな奉納図や祭りの写真などが掲示されています。
先週の秋祭りで奉納したわが地区の「曳船」です。
坂町で初めての「グループホーム」の建設現場です。
次は東岸山西林寺です。戦国時代末期、僧霊厳が坂の塔の岡にお堂
を建て塔半寺と号し、真言宗を伝えたと言われています。その後浄
土真宗に改宗、僧道明の時、森山の用材を使って仏堂を移転改築し、
西林寺と改め、1688年に現在地に移り、東岸山西林寺と名づけられ
ました。昭和30年本堂を焼失、昭和34年に再建され現在です。
経蔵(きょうぞう)は1830年建立、傳大士(ふだいじ)像は中国の唐の学
僧、彫刻史林直次作です。
高台の境内からは町内が一望できます。
続いて荒神社です。1468年ころ勧請。1663年社殿再建。採算の修復を
重ね、大正6年再建。社殿横に椋の大木があり、初めはこの木を神木
として祀ったものといわれています。(かまどの神、火の神)
境内には珍しいザクロがありました。
その隣に日星庵があります。サンスターの創始者の実家です。1932
年坂町出身の金田邦夫氏が自転車部品の会社を創業。1946(昭和21年)
年にサンスターは磨き製造開始しました。
次は稲荷社です。西側山中にあったものを1759年山中より下ろし、
明治初期に現在地に鎮座しています。
若宮社は上条地区にあります。1742年厳島丸音神社の御分霊を勧請し、
塔宮と称したが、その後若宮に改名。隣に西林寺の上条説教所があ
ります。(天地創造の神)
上条トンネルとその地取り付け道路の上条道路は、昭和のトンネル
物語です。畝為吉翁は、明治22年生まれで、少年時代生まれた上条
地区から山を越え、植田地区へ畑に使い走りに出かけていました。
今のトンネルの上の急勾配の山を越えることは住民にとって、不便
極まりない難所でした。そんな時、呉線のトンネルが開通したのを
初めて見て驚嘆し、この山にトンネルを掘れば、村の人も(その当
時坂村)楽になるだろうと、秘めた決意を胸に、わずか16才の時、
単身でハワイに渡りました。
以来40年余り、汗と油の辛苦の結果、マットレス工場を経営、巨
万の富を築き上げ、「少年時代の夢」の実現をしようと、昭和24年8
月に帰国、準備を始め12月半ばに着工、工事費全額を畝翁が個人
で出資し、地区単独工事として、起工以来1年4ヶ月で全通完成を見
ました。トンネルは幅4m、高さ4.5m、長さ110mで、道路延長は1,400m、
上条地区から植田地区を経て、国道31号まで車の通行が可能になり
ました。上条グラウンド内に畝翁の銅像があります。
そのトンネルの手前に「紫式部」がありました。初めて見ました。
畝翁は、この事業は両地区全体の汗の結晶ということで、トンネルの
両入口には上条側に「共存共栄」植田側に「協力一致」という文字が刻
トンネルを出て植田道路へと下っていきます。
広島呉道路の工事用道路であった側道へと進んでいきます。
解散の後は、サンデーマーケットで楽しんでいただきました。
今回の「歴史探訪ウオーク」は事前に新しいコースを考え、2週間
前に下見をしてみました。今回皆さんに配布した資料は「坂町の史跡と伝
統文化」という書物で調べました。
次回は11月13日(日)です。もみじを楽しもうウオークですので、皆さん
多数ご参加ください。ゴール後は「C級(チャイルド)グルメ大会」をお楽しみ
いただけます。