こんばんは 「ようよう坂町」
今晩7時30分から横浜三部集会所で、曳船実行委
員会反省会が開催されました。
横浜戸主会役員と船頭、船頭補佐、小船頭の約40
名が集まり、10日の坂八幡神社の「曳船」奉納につ
いての経過報告と収支決算案について協議しました。
事務局としては、1週間足らずの中での各方面への
支払い、決算、報告書の作成と日程的には厳しいも
のがありましたが、何とか無事報告も終了しました。
この後は、恒例の懇親会です。
時の寄付と年2回もあり、皆さんにはご無理をお願いし、
厳しい状況ではありましたが、総件数で244件101万
円と多くの方のご寄付をいただきました。総支出額は
108万円ということで、町補助金2.7万円と合わせま
すと、差し引き4万円余りの赤字で、本会計からの持ち
出しとなり、ほぼ予算どおりでした。皆さんご協力ありが
「曳船」 奉納の新聞記事が祭り翌日に掲載され、盛大
に無事奉納でき、PRもできました。
神社境内曳船と孫娘です。小学校5年になると小
船を担ぐことができます。5才ですから、まだ随分
先のことです。
まだ随分先のことです。でも法被姿が似合います。
中国新聞の「誕生日おめでとうコーナー」の写真
さて、260年の伝統があり、坂八幡神社の数々の
寄進もので、祭りのメインといわれ最も華やかで注
目されているわが横浜地区の「曳船」ですが、出船
から坂地区の参道に到着です。到着の際には森浜
地区の方々が出迎えてくれます。
森浜地区の屋台です。子どもさんがたくさんのって
例大祭奉納に向けて、横浜港を出発した「曳船」は、
担ぎ手、世話人、役員を含め総勢184人の集団と
なり、後ろには参拝者を引き連れ、「曳船」とともに、
祭りが始まり、「曳船」が帰るとともに、祭りが終わ
るといわれています。
にはそれぞれ生鯛壱千本、清酒壱千樽と書いてあり
ますが、もちろん目録だけです。まず神殿に拝礼をし
ます。
そして、お互いの無事の奉納と協力を祈念しての
乾杯です。これで儀式は終了です。
の出船です。その後、森浜の屋台が続きます。
神社へと続く参道は現在、マンションや新興住宅地
となっていますが、以前は田んぼで、左右で田んぼ
に落とし合いをしており、泥だらけになっていました。
神社前の御手洗い(お手洗いでなく、みたらいです)
というところで一休憩し、浜宮地区の神輿(ちょうさい)
を待ちます。
浜宮のちょうさいは、荒々しいもみ方で有名です。神輿の中では、小学生が太鼓をたたいていますが、
左右に大きくゆれるので、怖いのではないでしょうか。
さて、浜宮のちょうさいが一旦休憩に入ると、森浜の
屋台が神主のお祓いを受けるため、動き出します。
曳船の担ぎ手も手伝い、鳥居をくぐるまで引っ張り上
げます。
そして神主のお祓いを受けます。
屋台が戻った後、いよいよ曳船の出発です。
ロープを神社境内の石柱に結び付け引っ張ります。
今度はこの役が森浜地区の人たちです。協力をし
まうと危険なので、懸命に持ちこたえています。
神社境内に到着です。
大船はいったん境内に上がると休憩を取ります。
続いて、小船が石段を上がっていきます。
石段を上り、境内につきますが、休む暇もなく、交
代しながら進んでいきます。
神社本殿で神主のお祓いを受けます。船首がお祓
いを受ける間、船尾をゆっくりしと左右に振らせます。
次は隣にある新宮さんにもお参りします。
そして、境内で静かな海を行くゆっくりした揺れ、荒
海を行く荒々しいもみ方を上下に前進しながら行い
ます。ここら辺がクライマックスです。
腕を高く上げた時は、高波の上にいる時。
小船は境内での一連の行事のあと、休む暇もなく、
石段を降りていきます。いくら交代しているとはいえ、
ここが疲れがピークで踏ん張りどころです。
下の御手洗で最後の休憩を取ります。
大人でも難しいほら貝も子供達が見事に吹きます。
小学校の運動会でも吹いていますが、行く途中で
指導していただいたせいか、様になっています。
子供達が下りると、今度は大船です。神殿に戦勝
報告する音頭(かぶとぎん)で出船です。ゆっくりした
音頭にあわせて、静かな海を航行するように、ゆっ
たりと左右に揺れながら進んでいきます。華麗なる
姿です。
そして、いよいよ神殿に戦勝報告をし、神主さんより
お祓いを受けます。その間、船首を神殿に突っ込み、
お祓いを受けた後、曳船は神殿から離れます。
次は隣にある「新宮社」へ奉納です。
本殿から曳船を見つめる人々です。
戦勝報告が終わり、音頭が終わると、ほら貝の音
で、静かな優雅な動きは、一転スピーディになり、
荒海を突き進む曳船の姿を表現します。
荒波を前から受ける時は、船首を上げてほとんど
動きません。
高波の上にのった時は、腕を伸ばしゆっくりと前
荒波を後ろから受ける時は、船尾を上げ、船首を
地面にすりながら、一気に前進します。下手をする
とけがをします。動きが早いので、船頭などの役員
は特に気を使います。こういった動きを3回ほど行い、
荒海をのり越えます。正にクライマックスシーンです。
の拍手です。
やっと荒波を乗り越え、いよいよ帰船です。
そして石段を下って行きますが、この辺りでは疲れも
ピークとなっています。最後の関門は、石段です。危
険防止のため、ロープでくくってはいますが、疲れも
ピークとなり、肩は痛く、肩が外れそうになります。
ここで一旦どちらかの肩が落ちますと、手や足を石
段との間に挟まれ、けがをすることになります。
緊張が走る瞬間です。
石段を下りるとロープがはずされ、少しはほっと
します。鳥居をくぐり、あともう少しの踏ん張りです。
そして一気に休憩場所の御手洗に向かい、御手洗
でしばし休憩をします。
その間、いろいろな寄進ものがあります。中村地区
湯立て行事が終わりますと、内から西側地区の
雄獅子の舞いが始まります。中腰での舞ですの
で大変です。獅子は走友会の息子さんです。左
鬼の隣がお父さんで笛を吹いています。
上条地区の獅子舞は雌獅子舞です。
怖そうな鬼で子どもたちは、怖がって泣いています。
刎条地区の頂載です。
曳船を先頭に、屋台、ちょうさい、そして獅子舞な
どの寄進物が一直線に並び壮観な風景です。

曳船に森浜の屋台がつづきますが、小船の担ぎ手が
手伝い、引っ張っていきます。ここでも助け合いです。
新興住宅地で人口増が著しい平成ヶ浜地区を帰って
いく曳船です。
出港場所に無事帰ってき、飾りを解き、シートをかぶ
せて、保存庫へ収めます。
飾りを片付け、船を納めた後、全員120名で打上げ
です。(子供は除く大人のみ)、場所は宝海寺です。
これだけの人数が入る場所が横浜地区にはないので、
お寺を使っています。神社のことでお寺を使うのは変
ではありますが・・・。
実行委員長、大船頭のねぎらいの挨拶です。
副実行委員長の音頭で盛大で無事の奉納を慰労
し乾杯です。
途中から民主党衆議院議員の空本先生も駆けつ
けてくださいました。
また自民党の衆議院議員中川先生も駆けつけて
くださいました。こんな一地区の会合に2人の国会
議員先生が来られることは大変名誉なことです。
これも「曳船」のおかげでしょうか。
今年最後となるオーストラリアのレオンさんに、サン
キューの意味を込めて紹介と法被を記念品として
贈呈しました。
こうして、「曳船」が無事盛大に奉納できたのも、
船頭さん、役員さん、担ぎ手そしてご寄付をいた
だいた方々の皆さんのお陰です。
ありがとうございました。そしてご苦労様でした。
1749年が起源といわれる曳船は<幾多の年
月を経て、今日に至っています。
現在は(財)横浜戸主会が所有し、事業の継承
をしている曳船ですが、後継者を育成し、地域
ぐるみで、地域の文化と伝統を今後とも継承し
続けていくことが大切でしょう。