こんばんは 「ようよう坂町」
金曜日の朝はおなじみの「積極
人間の集い」です。先日パートⅡ
夜の部で勧誘した成果もなく、今朝
の出席者は29名と久しぶりに30
名を切ってしまいました。厳しい暑さ
が続いているためでしょうか。
今朝のゲストは英会話講師の笹本
敏子様、演題は「カナダの日系人
として体験した戦争時代」でした。
カナダで生れ育ち、16年間カナダで
過ごし、帰国後は、日本の教育を受
け、国際感覚を身に付けたバイリン
ガルな英会話講師です。
二十数年の秘書経験(米軍基地司
令官秘書・東京丸の内貿易会社社
長秘書・大手百貨店秘書)を生かし、
フォーマルな英語表現につとめており、
シニア・一般社会人・子供を対象に
日常英会話及び旅行英会話をわかり
やすく指導しています。
1931年カナダ生まれで、終戦後の
昭和21年に両親の里、広島市へ
帰国され、広島女学院中学3年に
編入されたとのこと。両親は大正
時代にカナダに移住し、果樹園を
経営していました。カナダ西海岸
にはイギリス人移民者が多く、優秀
な日本人を排斥する動きがあった
中、太平洋戦争が始まりました。
戦争が始まって、カナダ政府は日
本人の車や家など全てを没収し、
そしてロッキー山脈付近に追い出さ
れ、穀物倉庫に入れられました。
18才~46才までの男性は道路建設
の強制労働、41才だった父は行く
予定であったが、家族が一緒にいた
いのなら、砂糖大根の農場での強制
労働があるということで、そちらを選択。
しかし4年半の農場での強制労働は
非常に厳しいものでした。
砂糖大根は直径15cmぐらいで6月
に種を蒔き、間引きをし、9月~10月
中までに収穫します。それを過ぎると
寒さで凍ってしまいます。
10万エーカーの広さの農場を手作業
で行う作業はそれは厳しいものでした。
そんな中の癒しは、毎週日曜日朝
の教会と午後お寺に参ることでした。
牧師さんの奥さんにギターを買って
もらい、教えてもらい、歌と音楽で
癒されました。
カナダの日系人は頭がよくて優秀で
あったので、カナダ人がねたみ、学校
でも白人と日系人に分けられ、差別を
受けていました。でも先生が「常に
上を向いて笑顔で」そして頑張ってい
ると「グッドワーカー」といって励まして
くれたことが心の支えになりました。
1946年5月農場に残るか、東部の
トロントへ行くか、日本に帰るかと
の選択を迫られ、日本へ帰ることに。
船で計4千人が帰りました。2万人が
カナダ残り、1949年に元に住んでいた
所へ帰ってもいいということになった
が、ジャップといわれ、冷たくされた
そうです。現在では日系人は6万人
になっているそうです。
1982~3年頃に戦時中カナダ政府が
行った強制収容政策は間違っていた
という運動が起こり、それが認められ
ました。カナダ政府の代表者10人が
日本へきて、日本各地を訪問し、謝罪
してまわったとのことです。
7年前にカナダに行った時、砂糖大根
はなく、じゃがいもや菜種、高麗人参畑
になっていました。
今カナダは不景気で就職口もないよう
な状態で、新移民者として、退職者など
を募集して、何とか盛り立てようとして
ピンクのよく似合う方ですが、笑顔
ながらに、苦労話をされたのが印象
的でした。結びに今日まで頑張って
これたのは、カナダでの苦しい時に
励ましたくれた中学の先生やフランス
語の先生の言葉で「人を愛すること
人には思いやりを 毎日感謝すること」
それを心の支えになったそうです。
カナダといえば、自然が美しく、海
外旅行の人気がある国で、私もぜ
ひ行ってみたいと思っていますが、
こんな厳しい時代があったことを
初めて知りました。そんなことを知り、
カナダを旅行すれば、見方も変わっ
てくるかもしれません。