こんにちは 「ようよう坂町」
横浜港を出発した「曳船」は、担ぎ手、世話人、
役員を含め総勢180人の集団となり、後ろには
参拝者を引き連れ、「曳船」とともに、祭りが
始まり、「曳船」が帰るとともに、祭りが終わると
いわれています。できるだけ長い滞在をとの
宮司の要望でしたが、永年の習慣や道中が
長いという理由で、従来どおりのスケジュールで
進みました。小船を従えて、いよいよ神社鳥居を
くぐり、石段を上ります。危険防止のため、
親船はいったん境内に上がると休憩を取ります。
その間に、小船は交代しながら、一気に上がり、
そして、境内で静かな海を行くゆっくりした揺れ、
荒海を行く荒々しいもみ方を上下に前進しながら
行います。ここら辺がクライマックスで、小船とは
いえ、カメララッシュや拍手喝采となる感動の
大人でも難しいほら貝も子供達が見事に吹きます。
小学校の運動会でも吹きますが、多くの観客を
小船は境内での一連の行事のあと、休む暇も
なく、石段を降りていきます。いくら交代している
とはいえ、ここが疲れがピークで踏ん張りどころ
です。その真剣な姿にまたもやカメララッシュに
拍手喝采です。下の御手洗(お手洗いでなく、
みたらいです)で最後の休憩を取ります。
子供達が下りると、今度は親船です。
音頭の時は、ゆっくりした音頭にあわせて、
静かな海を航行するように、ゆったりと左右に
揺れながら進んでいきます。華麗なる姿です。
いよいよ、神殿に戦勝報告をし、神主より
お払いを受けます。その間、船首を神殿に
突っ込み、艫(うしろだけ)を左右にゆっくりと
振ります。
戦勝報告が終わり、音頭が終わるとほら貝の
音で、静かな優雅な動きは、一転スピーディに
なり、荒海を突き進む曳船の姿を表現します。
荒波を前から受ける時は、船首を上げてほとんど
荒波を後ろから受ける時は、船尾を上げ、
船首を地面にすりながら、一気に前進します。
下手をするとけがをします。動きが早いので、
船頭などの役員は特に気を使います。
こういった動きを三回ほど行い、荒海を
ロープでくくってはいますが、疲れもピークとなり、
肩は痛く、肩が外れそうになります。ここで一旦
どちらかの肩が落ちますと、手や足を石段との
間に挟まれ、けがをすることになります。
ちなみに私は今から42年頃前にこういった事態に
おちいり、手と足にけがをし、1ヶ月余り医者に
通ったたことがあります。
痛みのわかっている私ですので、しんどいけど
ここだけは最後の力を振り絞って進んでもらわ
石段を下りるとロープがはずされ、少しは
ほっとします。そしてやや一気に休憩場所の
これは森浜地区の屋台です。車輪は木製で
左右に動きませんので、棒を使って、方向を
かえます。「上じゃ、下じゃ」といって右左の方向を
変えます。子供達が屋台の上に乗りますので、
浜宮地区のちょうさいです。比較的新しい
中村地区の屋台です。古いので、動かすと
このように坂の秋祭りは、各地区からの
寄進もので盛りだくさんです。
ぜひ一度お参りください。