霞ヶ浦佃煮石碑と上羽神社
桜が満開の上羽(うわば)神社に来ました茨城県行方市粗毛(ほぼけ)にあります
そして拝殿の裏側には2つの祠(本殿)が並べられています。1つは上羽神社(大己貴命、倉稲魂命のニ柱を御祭神)ともう一つは稲荷神社だそうです。
霞ヶ浦佃煮石碑
「佃煮創業記」と書かれていて、全て漢文で書かれています。建てられたのは明治34年です。当時は霞ヶ浦は東京までの船輸送が盛んで、活気があった頃でしょう。漢文の内容はよく読みきれないが、説明によると明治にの初期(明治7年?)この地(粗毛:ほぼけ)の奥村吉郎兵衛が、東京に出て佃煮製法を学び、この地に戻り、奥村謙蔵の協力を得てまず「ハゼ」の佃煮製造を試み、これに成功した明治10年に西南の役が起こったときに、この佃煮が将兵の食料として注目され、この地の産業として定着したといいます。その後、佃煮製造は、産業として定着し、発展した
また神社の隣には西南戦争から太平洋戦争による麻生町の戦死者200余名の戦没者の大きな慰霊碑が置かれていました。
神社から霞ケ浦を見る
上羽神社
茨城県行方市粗毛42