『天心』 行方市で上映します☆行方市の『大山守大塲家郷士屋敷』が映画のワンシーンに☆ | エリザベスのブログ

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おとめ座岡倉天心の映画『天心』行方市で上映ビックリマーク


みなさんビックリマーク 行方市でいよいよ上映!!



ベルレイクエコー 6月28日(土)10:00と14:30


ベル行方市文化会館 6月29日(日)10:00と14:30


茨城の底力!! 震災復興のシンボルクラッカー


あの東日本大震災から六角堂再建星

お月様北茨城の海や月、波が実に美しく撮され、この地を

護りぬいて育んできた人々の息吹が感じられます波


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公式サイトは、右矢印ココ


岡倉天心というのは、明治時代に日本美術の

復興・保存に励み、日本文化を広く海外に紹介し、

自らも創作活動を行ったという、日本美術史上

有名な人。親の教育方針で英語を子供の頃から

たたき込まれ、小さい頃は漢字よりも英語の方が

強かったという時期もあったとのこと。
 その天心が、良く過ごしていたのがこの五浦海岸

文字通り、5つの浦から構成されている一帯をこう呼ぶ。


茨城県 行方市商工会(なめがたし)-thumb


六角堂は、明治38年に岡倉天心に設計され建築!!

この時代は、西洋文明の荒波が日本に押し寄せた時代星

「日本美術の真価と日本人の心を広く世界中に伝えたい」

という情熱にかられた天心は、明治36年、五浦の土地を

買い求め、2年後には居宅と六角堂、少し離れた高台に

日本美術院研究所を建設しました。日本美術院には、

横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山などの弟子

を呼び寄せ、近代日本画の基礎を造りました!!

しかし!!あの大地震で叫びあせる

明治38年に岡倉天心が設計したもので、「観瀾亭」

と名付けられた赤い六角形の堂です。五浦海岸の

茨城大学五浦美術館研究所内にあり、天心が思想

にふけった場所といわれています。緑の松林を背後

に、前には五つの浦がひらけ、太平洋の白波が砕け

散るその雄大な姿は、訪れる人々に感銘を与えていました。


茨城県 行方市商工会(なめがたし)-110421izura

(2011.3.11の東日本大震災により流失)

五浦 六角堂再建へ起工式「復興の象徴に」
東日本大震災の津波で流失した六角堂

(北茨城市大津町五浦 )の再建に向け、

管理者の茨城大は21日、関係者を招いて

起工式を行った。新しい六角堂は、

1905(明治38)年に岡倉天心が創建した

当時に近い形で再建する方針で、完成!!


そして、復興支援映画『天心』の製作を!!

構想から5年以上の歳月をかけ、様々な困難を乗り越えて

映画『天心』は先行上映が県内各地で始まりましたラブラブ
作品には、「復興支援映画」という肩書が付いていますドキドキ






:


おとめ座エリザベスドキドキ

白装束で畳敷きの部屋で掛け塾むかう4人の天心の弟子達

このシーンが行方市玉造の「大山守大塲家郷士屋敷」です虹


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「大山守 大塲家郷士屋敷」おおばけ右矢印ココ

400年の時を超え、人々の息吹を今に残す郷士屋敷

この『天心』の映画に行方市玉造にある

『大山守大塲家郷士屋敷』が映画のワンシーン

に使わているんです!!
白装束を身にまとい、畳敷きの部屋で天心の

弟子である、横山大観(中村獅童)、菱田春草(平山浩行)

、下村観山(木下ほうか)、木村武山(橋本一郎)

が一心不乱に掛け塾に向かっているシーン!!



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映画監督の松村監督の

ステージあいさつもあります!!


お母さんは、行方市麻生の孔雀という料亭の出身ですラブラブ

監督のブログも見てね右矢印ココ



茨城の意地と誇りをかけて右矢印ココ
茨城県の震災復興とともに、天心らの人間像を


おとめ座がんばっぺ茨城!!

えいえいOH!! どうぞ、お楽しみにねラブラブ

茨城県民の宝を これからの力にしようよラブラブ


じっくり描きました」と、熱く語った!!



確かめよう白樺の葉葉っぱ 日本のこころを葉

信じようクラッカー地域のちからをクラッカー