あわしまさま
あの赤いお社は何
行方市新宮の淡島神社へ行ってきました
ココ
ずっと気になっていました新宮の淡島さまって
総本社は、和歌山県和歌山市加太にあり、全国にある淡島(嶋)神社
・粟島神社・淡路神社の総本社となっています
茨城県行方市にも淡島神社がある
茨城県行方市新宮497番地ココ
エリザベス
それでは、お参りさせていただきます
この鳥居をくぐると あああ~神聖な気持ちになります
正面に、見えてきました参道を歩くと、石の階段がありまして
行方市新宮の地域のみなさまが大切にお守りしている淡島神社
淡嶋神社系統の神社
は日本国内に約1000社余りあるそうです
神話において
日本 を創造したと伝えられる少彦名命(すくなひこなのみこと)と大己貴命(おほなむじのみこと)の祠が加太の沖合いの友ヶ島 のうちの神島(淡島)に祀られたことが始まりとされる。
社伝によれば、三韓出兵
の帰途瀬戸の海上での突然の嵐に遭遇した
神功皇后が、船中で祈りを捧げたところ、「船の苫を海に投げ、その流れのままに船を進めるように」とのお告げにより友ヶ島に無事入港できたことを感謝し、持ち帰った三韓渡来の宝物を先述の二神に奉納した。
その数年後、神功皇后の孫である仁徳天皇が友ヶ島に狩りに来た際、その事実を聞くにおよび、島では不自由であろうと考え、社を対岸の加太に移し、現在のような社殿を建築したことが淡嶋神社の起こりとされる。
淡島神は住吉神 の妃神で、婦人病にかかったため淡島に流され、そこで婦人病を治す誓いを立てたとする伝承もあるが、これは、淡島が住吉大社 の社領となっていたことによる後世の附会と考えられている。このことにより、淡嶋神社は、婦人病を始めとして安産・子授けなど女性に関するあらゆることを祈願する神社となった(ただし、加太淡嶋神社では少彦名命が医薬の神であるからと説明している)。
江戸時代 には、淡島願人と呼ばれる人々が、淡島明神の人形を祀った厨子を背負い、淡島明神の神徳を説いて廻ったため、淡島信仰が全国に広がった。
今も続く淡島信仰
婦人病をはじめ、安産・子授かりなど女性に関する
あらゆる願いを
地域の方々の守り神として、大切な神様なのです