岡倉天心の映画『美神 天心』
の映画監督が行方市商工会へやってきた
松村克弥さんは、「茨城県の震災復興とともに、天心らの人間像を
じっくり描きたい」と、熱く語った
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岡倉天心というのは、明治時代に日本美術の復興・保存に励み、日本文化を広く海外に紹介し、自らも創作活動を行ったという、日本美術史上有名な人。親の教育方針で英語を子供の頃からたたき込まれ、小さい頃は漢字よりも英語の方が強かったという時期もあったとのこと。
その天心が、良く過ごしていたのがこの五浦海岸。文字通り、5つの浦から構成されている一帯をこう呼ぶ。
六角堂は、明治38年に岡倉天心に設計され建築されました。
この時代は、西洋文明の荒波が日本に押し寄せた時代でした。「日本美術の真価と日本人の心を広く世界中に伝えたい」という情熱にかられた天心は、明治36年、五浦の土地を買い求め、2年後には居宅と六角堂、少し離れた高台に日本美術院研究所を建設しました。日本美術院には、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山などの弟子を呼び寄せ、近代日本画の基礎を造りました
しかしあの大地震で
明治38年に岡倉天心が設計したもので、「観瀾亭」と名付けられた赤い六角形の堂です。五浦海岸の茨城大学五浦美術館研究所内にあり、天心が思想にふけった場所といわれています。緑の松林を背後に、前には五つの浦がひらけ、太平洋の白波が砕け散るその雄大な姿は、訪れる人々に感銘を与えていました。
五浦
六角堂再建へ起工式「復興の象徴に」
東日本大震災の津波で流失した六角堂(北茨城市大津町五浦
)の再建に向け、管理者の茨城大は21日、関係者を招いて起工式を行った。新しい六角堂は、1905(明治38)年に岡倉天心が創建した当時に近い形で再建する方針で、3月末までの完成を目指す
そして、復興支援映画『美神 天心』の製作を
映画監督の松村監督が行方市商工会へやってきた
お母さんは、行方市麻生の孔雀という料亭の出身です
茨城の意地と誇りをかけてココ
少年時代から、よく茨城を訪れており茨城県民の協力をいただきたいと話してくれました
エリザベス
がんばっぺ茨城
えいえいOH
茨城県民の宝を これからの力にしようよ
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