第3回なめがた狂歌入選者が決定
審査結果
ココ
わなわな
ううっ
あの虹の塔の近くに建つ石碑に、自分の歌を刻みたいという思いもむなしく
エリザベスは、見事 落選しました
わわ
石碑に、エリザベスの名を刻みたかった
今年も開催しました!
滑稽・洒落・風刺で表現する自由な歌,それが「狂歌」です!!
テーマは自由。感じたこと,思ったことを五七五七七のリズムにのせて表現するものです
今年の応募総数は、なんと1,307首
昨年を上回る☆
狂歌を詠むことで,大震災で失った心の「やすらぎ」や「元気」を取り戻す一助になれば…。そんな想いで,今年も全国から力作・迷作!?を募集いたしました
みなさんのご応募に感謝です
今年の表彰式典の様子ですおめでとうございます
茨城県知事賞 | 要石鯰の頭押えかね陸奥常陸は大地震(おおない)揺れる | 羽生成一郎 | 行方市山田 |
茨城県議会議長賞 | 何にも可も嫁にすがりし日々なれど狂歌詠むこと持つを幸とす | 平山なか | 行方市根小屋 |
茨城県教育長賞 | 友達と毎日通う学校は音符のようだ黄色い帽子 | 井坂星哉 | 現原小学校 |
行方市長賞 | 見渡せば瓦礫の山の牙のあと人の生活(くらし)を根こそぎ攫う | 荒井節子 | 行方市浜 |
行方市議長賞 | どぶろくに酔って口説いた春日祭(かすがさい)縁で結ばれ喜寿と古稀 | 川又 浩 | 鉾田市鉾田 |
行方市教育長賞 | 友達のうわさ話をぬすみ聞きよく聞いてみれば自分の話 | 坂本茉由 | 麻生中学校 |
![茨城県 行方市商工会 (なめがたししょうこうかい)-P1070671](https://stat.ameba.jp/user_images/20110702/21/shokokai-namegata/4f/46/j/o0800060011326111798.jpg?caw=800)
大きい石碑は、芹澤 鴨 ココ
幕末の時代 京都の街を震撼させた剣客集団が在った その名も京都守護職 新選組の筆頭局長は、行方市の出身です
雪霜に 色よく花の 魁けて
散りても後に 匂う梅が香
![おとめ座](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/217.gif)
![叫び](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/254.gif)
![!!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/176.gif)
![!!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/176.gif)
エリザベス ぎゃあ
できた
私も一句 出来ました
落選で ますます燃える 狂歌熱
これに便乗 スキルを磨く
狂歌は江戸時代から
江戸時代に十返舎一九も訪れた行方市
コイやナマズやフナ
東海道だけじゃない
コイやナマズの霞ケ浦の養殖場です
十返舎一九も訪れた行方の玉造浜
狂歌『のどかさは これぞ 琥珀の玉つくり
ちりひとつなき春の青空』という歌を詠んだ
十返舎一九(明和2年1765年-1831年)
江戸時代後期の大衆作家
弥次さん・喜多さんで有名な「東海道中膝栗毛」の作者として知られています。
並行して出した『方言修行 金草鞋』(むだしゅぎょうかねのわらじ)も、広く読まれた。『諸国道中金草鞋24編』の第5編と第10編の一部で、千久良坊と鼻毛延高の両人が再び、登場して、利根川の船下りを楽しみながら、三社(香取神宮、鹿島神宮、息栖神宮)参詣の後、潮来、行方へ立ち寄り、水戸、日光へと旅を続けました
十返舎一九の常陸道中記
あくる日、潮来をたちいでて、それより
水戸街道をさしてゆくほどに、玉造と
いふところにいたる
十返舎一九狂歌
『このあたり、すべて鯰、鯉、鮒たくさんなり』
えっ
なまずも
日本なまず
『福屋』という暖簾がかかる店先で、男が鯉らしい魚をさばいている玉造の絵
かつて霞ケ浦水運の河岸があった浜地区のあたりを描いたものと言われている
霞ケ浦の行方市では、養殖淡水魚を食材とする料理や食品の開発・普及に力を注いでいます
笑い・想像・思い
面白いかもぜひ来年も応募して
うふっ歌を詠むのは 楽しいわ