茨城県行方市麻生の水門橋が新しくなりました☆水の国なめがたの新しい名所が完成 | エリザベスのブログ

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おとめ座水門橋が新しくなりました!!

うぎゃ!!うぎゃ!!うれしいラブラブうれしいラブラブ

私は、思わずうれしくなって、万歳しました!!


茨城県 行方市商工会 (なめがたししょうこうかい)-工事

茨城県行方市麻生の城下川にかかる水門橋は老朽化のため工事中でした!!

2011年9月に、新しい水門橋が完成しました!!


茨城県 行方市商工会 (なめがたししょうこうかい)-え


子供達の通学路でもあるこの橋は、中世の麻生氏の居城であった麻生城(現在の羽黒山公園)の堀でもありました!!

おとめ座ピカピカ星キラキラに光っているんだよ!!うぅぅ~叫びあせる


茨城県 行方市商工会 (なめがたししょうこうかい)-P1090944

そして、江戸時代になって!!新庄氏が近江から

麻生藩は、近江地方で豊臣秀吉に仕えた摂津高津城主の新庄直頼(なおより)が、関ヶ原の戦いで西軍に加わり改易となりましたが、慶長9年(1604)に徳川家康との旧交により助けられ、常陸国行方郡・新治郡・真壁郡・河内郡・那珂郡、下野国芳賀郡・都賀郡・河内郡内に、改易前と同様の3万3百石余の領地(『恩栄録』)を与えられて、常陸国行方郡麻生を根拠地として成立しました!!


茨城県 行方市商工会 (なめがたししょうこうかい)-P1090948

麻生陣屋(現在の行方市立麻生小学校)の設立は、元和元年(1615)の「武家諸法度」施行後の元和5年とされ、幕府の厳しい制限の中で建設されたものと推測されます!!


茨城県 行方市商工会 (なめがたししょうこうかい)-水門橋

麻生陣屋は、中世麻生城の東側の城下川河口の州上に占拠され、北東側にあった池から掘割に水を注ぎ込み堀の内も形成していました!!


茨城県 行方市商工会 (なめがたししょうこうかい)-P1090951

麻生・新庄新庄家の家紋(略門)が刻まれている星

新庄家の菩提寺である海了寺→ココ も、この近くにありますラブラブ



霞ヶ浦へと続く城下川波波

茨城県 行方市商工会 (なめがたししょうこうかい)-P1090952


参勤交代で新庄氏が江戸へ行くのに使った高瀬舟参勤の文字が刻まれている星

江戸時代、全国の大名は幕府から参勤交代を課されており、地域の幹線道路から五街道などを経て江戸参府をしていましたリヤカー



茨城県 行方市商工会 (なめがたししょうこうかい)-え

  しかし、歴代の麻生藩主は、江戸往来には御座舟を用いて国屋敷のある麻生新川河岸から、利根川中流の下総国竹袋村の木下河岸(印西市)との間を川船で往来していたのでした。寛永8年(1631)秋には木下河岸から行徳河岸(市川市)に至る街道、いわゆる木下街道の整備が行われ、行徳・八幡・鎌ヶ谷・白井・大森・行徳の各宿が整えられています。木下はこうした利根川改修や木下街道の整備による水路・陸路に通じる交通の要所となるなかで、河岸場として発達して行きました虹虹


茨城県 行方市商工会 (なめがたししょうこうかい)-ぬ

この橋の完成は、この地域の人々の喜びです!!安全に通学できる子供達、春には、羽黒山公園で桜を満喫し、秋には、大麻神社祭礼には、山車が通ります!!

おとめ座人がいて!! 歩いて!! 話して!!交流の橋

周りの人や景色や歴史文化と溶け合っている水門橋です星キラキラキラキラ


茨城県 行方市商工会 (なめがたししょうこうかい)-P1090950

城下川は、水門橋からこいせんびき橋へとつづく波


茨城県 行方市商工会 (なめがたししょうこうかい)-P1090959

こいせんびき橋は、国道355号線の道路にかかる橋です!!


茨城県 行方市商工会 (なめがたししょうこうかい)-P1090955

昔は、ここで鯉が千匹もとれたのでしょうかはてなマーク


茨城県 行方市商工会 (なめがたししょうこうかい)-鯉

ほらラブラブ鯉のデザインが素敵でしょラブラブ

ここから、新川河岸から、江戸へ向かう!!

利根川中流の下総国竹袋村の木下河岸(印西市)との間を川船で往来していたのでした!!

地域の歴史や文化を橋のデザインのモチーフにするって 素敵だわラブラブ


茨城県 行方市商工会 (なめがたししょうこうかい)-P1090956

水門橋から、こいせんびき橋を通って、水は霞ヶ浦へと続きます波波

おとめ座水の国 なめがた新しい名所が完成星