茅葺き屋根
完成しました
すがすがしく神々しい
茨城県指定有形文化財「麻生藩家老屋敷(旧畑家)」の茅葺き屋根葺き替えが終了いたしました
貴重な茅葺きは、現代では大変に珍しい新緑の若葉が、この喜びを祝福しているように、茅葺きと鮮やかな色彩を描いています
新緑のころ
鮮やかに蘇った茅葺き屋根
麻生藩家老屋敷記念館は、豪壮な入母屋造の茅葺屋根が特徴的な江戸時代の武家屋敷ココ
安政4年に建て替えられた家老 畑家の居宅です
戦前は日本各地で見られたが、火災に弱く、葺き替えに高額がかかり、屋根葺き職人も少なくなったこともあり極端に減少しているのが現状です
古民家軸組み等の構造が、職人の技で
『麻生藩家老屋敷記念館(旧畑家)』
茅葺き屋根は、断熱・吸放湿など、素材の持つ利点があります。
それ以上に匂いや質感等は、好きな人には何ものにも代えがたいものではないでしょうか
茨城県指定有形文化財「麻生藩家老屋敷記念館(旧畑家住宅)」は、江戸時代の麻生藩家老・畑家の武家屋敷で、豪壮な入母屋作りに茅葺き屋根が特徴です。
主(母)屋は寄棟作りですが、正面の式台玄関と土間上にあたる大棟部は入母屋作りになっています
地元では、赤門と呼ばれている
安政四年の(1857年)の建築で、現在は近隣から「赤門」の名で親しまれている表門とともに、記念館として一般公開されています。
平成20年に茨城県の文化財に指定されました。
表門 薬医門に属し赤門と呼ばれている
ココ
開館日 木・金・土・日曜と祝祭日
開館は午前9時~午後4時
案内看板も新しく設置いたしました
究極の日本の美
完成
囲炉裏の火で炙られた家の木材は、黒くなり、木を強くするようになる
また、葺き替えで近所の人の力を借りる風習が残っていれば、人の和を維持するのにも大切な行事になることでしょう
こころの暖
いまこそ
東日本大震災で改めて、気付いた家族や地域の大切さ
あの戦後から、中流のいい生活を送ろうと、突っ走った日本人その時、家族や地域を置き去りにしてきたように感じる
しかし、この震災で、被災した人々に、喜びや希望を与えたのは、家族であり地域の繋がりだと私は思うのです
私も家族の愛で救われた
■ 麻生藩についてココ
行方市麻生は、城下町
江戸時代から明治維新に至るまで、この地を治めていた麻生藩主「新庄氏」の一万石の城下町なんです
麻生藩は慶長9年(1604)新庄直頼が常陸、下野両国に3万3百石を与えられ、麻生を治めました。
町域およそ半分を支配した麻生藩新庄氏は、もと近江国(滋賀県)を生国とする武将で、関ヶ原の戦で西軍に参加したため領地を没収されたのですが、慶長九年に許され、常陸・下野国内に三万三百石の領地を与えられ、麻生を根拠地としました。
延宝四年(1676)に嗣子が無かったので断絶しますが、同年中一万石で再興されました。幕末期には隣接する水戸藩で天狗・諸生の争乱がおこり、幕命を受けた麻生藩は天狗派討伐に出陣して活躍しました。
関東内に配置された外様の小藩で、一度の移封もなく、明治の廃藩を迎えた麻生藩は特異な存在でした。
管理棟は、資料館になっています
お越しになった際には、芳名簿に記帳してくださいね
麻生藩の歴史や文化が理解できます
麻生藩とまちのすがた湖を愛した新庄氏
かごつきママチャリ で、突っ走る
とんでもないエリザベス
今日も、チャリンコ イエェーイ
うわあッ
みなさん 来てね
芹沢ひろしとカープファイブ…その正体
ココ