許昌市では、曹丞相府へまず行きます。

 

三国志時代の曹操は、後漢 末の武将であり、詩人でもあり、魏王で、 三国時代の魏の基礎を作ったとされています。

 

しかし、 三国志の中では ずるい人とのイメージがあるらしいですよ。


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きらきら ほしのむら  きらきら ほしのむら 曹操の画像
きらきら ほしのむら  きらきら ほしのむら 曹操の詩
 

 

前から見ると びっくりしますが、 裏には 武将の名前と、説明が書かれています。
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 その後 漢魏許都文化遺跡の内の 毓秀台へ バス 移動40分です。

               

 

許昌の遺跡捜索はここから始まったとされ、 曹操が 後漢最後の皇帝となった献帝の為に作った祭壇で、

天爺廟があり、 今は地元の人によって 守られているそうです。


きらきら ほしのむら  みんなで お線香を あげました。

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周囲は 四方に麦畑が 広~~く 広がっていました。

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河南省は 平野ばかりで 山はないそうです。

 

曹操をあとに、 待望の  嵩山 少林寺へと 向かいます。。。。。。。。。。。。。。つづきます。

 

 

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