星野村は歴史の中で  南北朝の時代  征西将軍懐良(かねなが)親王 終焉の地とされています。


長いこと住んでいながら 行ったことのなかった 懐良親王墓所へ 誘われ行ってきました。


星野に入って 県道を 1~2キロ行き 長瀬集落から 3.5キロのところにありました。



     

長瀬集落の 案内板 きらきら ほしのむら  




歩きながら 向こうの山に見える開かれた茶畑 &   集落は 眼下に見えます。


きらきら ほしのむら   きらきら ほしのむら

きらきら ほしのむら   植栽されたもみじ。  この上に 墓所はあります。


 きらきら ほしのむら  いよいよ看板が見えてきました。




もみじや シャクナゲなどが 植栽されていて  草も刈られ 管理がゆき届いています。
きらきら ほしのむら  きらきら ほしのむら  
きらきら ほしのむら  大木の間から もみじが 育ち 色づいていました。



平成6年に建てられた 案内板 (クリックしてみて)

きらきら ほしのむら  きらきら ほしのむら




由来碑も 立派な石に刻まれていて、

  

天授3年(1377年)4月 星野村の大円寺に入られ、 

                         弘和3年(1383年)3月 55歳で御薨去と あります
きらきら ほしのむら  きらきら ほしのむら





きらきら ほしのむら  紅葉に守られるように建ち 中央には 菊の御紋も見えます


きらきら ほしのむら  きらきら ほしのむら




少し手前の 高台には 懐良親王薨去 625年の法要の時に建てられた のろしがあります。


きらきら ほしのむら  きらきら ほしのむら

きらきら ほしのむら   ここから 眼下に 村の一部が見えました。




自生の 紫式部や  ズイナ  弾けた野ササゲ  サンキライなど ありました。
きらきら ほしのむら  きらきら ほしのむら
きらきら ほしのむら  きらきら ほしのむら


秋の夜長、 


興味のある方は 自分の町・村の 歴史に 思いを馳せるのも いいかもしれませんね。



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