産後、0日目と1日目の夜は、
最終的に緊急帝王切開になったことについて考えると思い出すたびに涙が止まらなかった。

あの時「切ってください」と言わずにもう少し我慢して頑張れば、下から産んであげられたんじゃないか?
そうしたらMichaelも出産に立ち会えたし、お腹に傷も残らなかったんじゃないか?
これからもう普通分娩できる機会はないんだ…
なんであの時、もっと頑張れなかったんだろう。

そんな想いがぐるぐる頭の中をまわっていた。

痛さで意識が朦朧としていて、手術を決めた先生の名前も覚えておらず、どんな手術が行われたのかもイマイチわからず、モヤモヤしていた。

陣痛の時に担当してくれた助産師さんが病室担当になり、また会った時に
「子宮口全開まで頑張ったんだってね、ママ偉かったね」と言ってくれたり、
わざわざ部屋まで来て
「あの時はお疲れ様、最後まで頑張ったって聞いたよ、赤ちゃんも無事で良かったねって皆で話してたんだよ」
「頑張ったけどいきみが来なかったり色々大変なことがあったね、でもよくあそこまで耐えたね」と言ってくれたりした時に、ついつい泣いてしまったりした。

「もう少し頑張れば下から産んであげられたのかなと思ってしまうんです」とこぼすと、
「降りて来なかったのは赤ちゃんの意思もあるから、無事に産めたんだし良かったんだよ」
「高熱で炎症反応もあって、羊水も少し濁ってたと聞いたし、筋腫からの出血もあったから結果として良い選択だったんだよ」
「最後和痛の痛み止めを取ってママが頑張ったこと、赤ちゃんが一番わかってると思うよ」
って次々と言ってくれた。

出産から2日後、看護課長さんが病室にきて個室への移動が可能になったことを伝えに来てくれた時、
「急に帝王切開になって、わけもわからず麻酔で手術が始まって、記憶もあいまいだし振り返る機会もなかなかないまま、あなたみたいに手術のことが消化出来ずに泣いちゃう人、けっこう多いのよ。
だから入院中にその時の助産師と話をしたりして消化して、元気出して子育てがんばろうね。
一長一短だけど、今日から個室でゆっくりしなネ」と話があった。

なんか納得して、
そうだ、あの日の手術のことを、Michaelともっとゆっくり話したかったんだな、と思った。

Michaelは私がメソメソしている姿を見て、
「ネットで調べたら、『100人いれば100通りのお産』って書いてあったよ」と言ってくれて、
Michaelなりに調べようとしてくれてたのが嬉しかった。
「でも、あの時私がもっと頑張りたいと言えば、Michaelは同意してくれたよネ?」と言うと、
「先生からも別で『この状態なら帝王切開のほうが安心です』と話があって、お前と子供のことを考えて、帝王切開にしてくださいって最終判断をしたのは俺だよ」とハッキリと断言してくれた。
「手術後も先生からは
『帝王切開はもともと出血が多いものだけど、
筋腫からの出血が多くて出血してる横から縫っていく状態だったから、これで下から産んでいたら出血を止められなかったかもしれない、だから切って良かったです』と話があったよ」とも言われた。

立ち会いしたかった?私はさせたかった、赤ちゃんが出てくるところを一緒に過ごして感動したかった、産声を一緒に聞きたかった、産まれたての赤ちゃんをMichaelと一緒に見たかった。下から産みたかった、産後もその方が楽だし…と、
溜め込んでいたものを一気に吐き出して泣いた。

Michaelは、
そう言われてみると立ち会いしたかった気もするけど、色んな希望を言えばキリがない。
あの時20時間くらい頑張って、それだけであの日3人で頑張った感はすごくある。赤ちゃん含めて家族3人で頑張ったでしょ!結果みんな無事で幸せだよ。
と言った。

だから結果はこれで良かったんだな、と思う。
出産にベストもベターもない、
ただ無事に赤ちゃんは産まれた、
私も無事だった、
Michaelがずっとそばにいる中で安心して産めた、その結果だけがすごく幸せなこと。

この子を産んだ日のことを忘れないでいよう、
ずっと覚えていたいな、
結果、こうやって思って泣いてるって、
何が悲しいんだろう、嬉し泣きじゃないの?と、泣きながらMichaelと話すうちに少しずつ少しずつ消化していけた気がする。

モヤモヤを残しておきたくなくて、
退院診察の時に「麻酔でよく覚えていないのでどんな手術だったか改めて詳しく聞きたい」と話すと、執刀した先生ではなかったけど、カルテをもとに診察担当の先生も詳しく話をしてくれた。

「発熱も筋腫もあったし、もともとこうなるお産だったんだと思いますよ。お母さんが頑張らなかったということではなく、赤ちゃんの状態や色々な環境が重なって、結果としてこの方法になったんです。最後まで頑張って無事に産んであげられたことが何よりです。」とのことだった。

詳しいカルテも見せてもらい、先生の名前もわかってホッとした。