仕事とプライベートで超絶忙しく、しばらくブログに来れませんでした。

12月〜2月はたくさん書けていたんですけどね。

でもその頃アカデミー賞ノミネート作品などたくさんみられたから、授賞式当日にすでにほとんどの作品を知っていたので、面白かったです。

 

2024 アカデミー賞感想

 

時間がたってしまいましたが、自分の鑑賞記録として。

 

近年失言やアクシデントが多かったMCも、受賞者のポリティカルなスピーチもなく、そのように示し合わされていたのがはっきりわかる、クリーンで無難な授賞式だったと思います。

 

私はどの作品が実際に受賞するかよりも、ノミネートされた作品をみて、その年に評価が高かった映画をチェックできるのと、俳優さんたちやハリウッドの今、を感じることが興味深くてみています。

 

アメリカではありませんが、長年英語圏に住んでいるために、文化的・政治的・時事的な背景を体感していることと、英語を字幕や解説を通さずダイレクトに理解できることは、アカデミー授賞式鑑賞のプラスになっていると思います。

 

コスチューム賞

 

優等生的で地味な授賞式ではありましたが、それだけに1974年にストリーカーが舞台を横切ったエピソードをもとにしたコスチューム賞のプレゼンには大笑いしました。

司会のジミー・キンメルさんらしさがよく現れたコメディスケッチ。

 

 

歌曲賞

 

それから歌曲賞で、受賞するのは、ビリー・アイリッシュの「What Was I Made For?」と予想していましたが、会場を沸かしたのは圧倒的にライアン・ゴスリングの「I’m Just Ken」で、私も楽しみにしていたので、堪能しました。

映画に出演していたライアン以外のKenも一緒に歌って踊っていたのが嬉しかった❤️

 

 

ステージのセッティングは『紳士は金髪がお好き』でマリリン・モンローが歌った「Diamonds Are a Girl’s Best Friend」のオマージュでしたね。

本当、好きキラキラ

 

こちらが受賞したビリー・アイリッシュの「What Was I Made For?」。

 

 

兄妹チームのコンビがとても良い♪ 彼女の歌声がとても好き。

 

それから万人向けではないから受賞はしないとは思ったけれど、ドキュメンタリー映画をみて好きになったジョン・バティステのIt never went a way もとても素敵でした。

 

 

長編アニメ賞

 

というわけで、今年の受賞はまぁ予想通り、予定調和という感想ですが、それでも長編アニメ賞の「君たちはどう生きるか」は応援していたし、受賞の瞬間を楽しみにしていました。

でも誰も日本からオスカー像を受け取る人がこなくて、アナウンスだけであっさり終わってしまったので、かなり拍子抜けして、がっかり。

 

視覚効果賞

 

だからやはり大好きで、応援していた「ゴジラ-1.0」が、視覚効果賞を受賞した時は、紋付袴の日本の正装で祝う気持ち満々の関係者もいて、みんなで大喜びしていた姿に、こうでなくちゃ、っと嬉しかったです。

 

が。

監督さんが、紙をとりだして、長々と英文のスピーチを読み出したのには大ショック。

だって何を言っているのか、まったく意味がわからなかったから。

それなのにあまりにも、長い!

 

今、この日本語の字幕つきのビデオでみると、意味がわかるので、その時の微妙な空気はつたわらないと思うのですが、これだったら日本語で話して、通訳をつけたほうがよっぽどよかったのに、と思いました。

だって、スピーチって相手に伝えることが目的だから。

会場の人がわからなくてもいいなら、もともと英語で話す必要もないですよね。

 

自分でがんばって読みました、よかった、よかった、えらかったね〜、という内輪受けのかんじが、みていて恥ずかしかったです(すみません)。

 

 

コミュニケーションとしての英語

 

でもそれが今でも英語が苦手な日本人のレベルなのかというと、私はまったくそんなことはないと思っていて。

小学校からの英語教育の成果なのか、私がこちらで会う日本人の高校生や大学生の子たちは、とても優秀な人が多く、通じる英語を話せる人はたくさんいます。

 

日本を代表するような人には特に、コミュニケーション力、プレゼンテーション力を高めてもらいたい、と切に願った瞬間でした。

(でもこの監督さんのゴジラへのリスペクトにはかわりありません。モノクロのもこちらで上映されたら絶対見に行きますし、日本人として誇りに感じています!)

 

アジア人差別?

 

というわけで、全体的には平和に終わった授賞式、と思っていたので、翌日ネットで、アジア人差別のニュースがたくさんあがっていたのにはびっくり。

 

私はダウニーさんはダウニーさんのキャラクターらしくオスカー像をうけとったと思ったし、エマ・ストーンさんにいたっては、あとで映像を確認して、ミシェル・ヨーがいつまでもオスカー像を握りしめて離さず、結局ジェニファーが像を手にして一緒にエマに渡すような形になったのに、はじめて気がつきました。

 

実は私は去年のミシェル・ヨーさんがエブエブで各賞レースで主演女優賞を取りはじめたときから、その振る舞いが気になるようになっていて、今回もレッドカーペットにスターが登場する際にうける各国メディアからのインタビューでも、アリアナ・グランデちゃんがオーストラリアのテレビ局からインタビューをうけている最中に、ミシェルさんが割り込んで入ってきて、二人のインタビューになってしまったのが嫌だなぁと思いました。

 

ドレスが印象的だったアリアナ・グランデちゃん。

 

アジア人透明化現象

 

だからあまりアジア人差別があったとは感じなかったのですが、ひとつ理解できるのは白人圏における「アジア人透明化」という事象。

 

集団でいる時、白人同士で話して、自分には目をあわせてくれない、話しかけられない。

買い物にいっても、お店の人が白人にばかり話して、自分をみない。

そんなことは日常茶飯事で、言葉の壁がなくなっても、そういう「透明化」現象は普通にあります。

 

個人的なことなのか、アジア人だからか、どっちもか、と悩みそうですが、私が中国などアジア圏に旅行した時にかんじたのは、私だって現地の言葉がわからないのに、レストランやお店で皆、一緒にいるオーストラリア人たちではなく、私にばかり話しかけてくる。

オーストラリアにいても、中国人・韓国人などアジア系は、子どもも大人も私に親しみを感じてくれるようで、すぐ仲良くなれます。

もちろん初対面で見た目の壁をこえられるオーストラリア人もたくさんいて、そういう人たちは人間レベルで本当に素敵だなぁといつも思いますが、私が思うに、人は自分と似た人に本能的に安心感を覚えるのではないでしょうか。

 

日本にいる日本人だって、どのくらい西洋人に気安く話せるかわかりませんよね。

もっといえば、人は自分に似たような顔の人を好きになるという研究もあるので、これは自然なことなのかもしれません。

 

結論。

なんでもかんでも差別だと大騒ぎするのはどうかと思います。

でも無意識だとしても透明化現象なんてない方がもちろんいいですから、お互いの気持ちを理解することで、異文化間のよりよいコミュニケーションができるようになればいいですね。

 

 

最後に

 

今回はとうとうキンメルさん恒例のマット・デイモンいじりがなかったなぁ〜と思っていたら、最後の最後にこれ。

 

 

 

「落下の解剖学」の犬さんがマットのハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星にこんなこと。

 

いやぁ、やっぱりいろいろ面白いアカデミー賞でした。