ヴァチカン美術館めぐり、続きます。
「無原罪のマリアの間」1854年12月8日、教皇ピウス9世によってマリア様の無原罪の御宿りが認められたことを記念して造られた部屋だそうです。


「無原罪のマリアの間」1854年12月8日、教皇ピウス9世によってマリア様の無原罪の御宿りが認められたことを記念して造られた部屋だそうです。

天井も壁も豪華です。

ラファエロと彼の弟子たちによる多くのフレスコ画が展示してあるのが「ラファエロの間」。
ここも間違いなくヴァチカン美術館のハイライト。
「ラファエロの間」は全部で四つあって、それぞれ「コンスタンティヌスの間」「ヘリオドロスの間」「署名の間」「ボルゴの火災の間」と名付けられいます。
上の絵は「コンスタンティヌスの間」の絵画。キリスト教を最初に公認したローマ皇帝・コンスタンティヌスの話をかたっているのだそう。
「ボルゴの火災の間」。教皇レオ4世が十字を切ると、847年に起こったヴァチカン近くのボルゴ地区の大きな火災が静まったというお話。
ここも間違いなくヴァチカン美術館のハイライト。
「ラファエロの間」は全部で四つあって、それぞれ「コンスタンティヌスの間」「ヘリオドロスの間」「署名の間」「ボルゴの火災の間」と名付けられいます。
上の絵は「コンスタンティヌスの間」の絵画。キリスト教を最初に公認したローマ皇帝・コンスタンティヌスの話をかたっているのだそう。

「ボルゴの火災の間」。教皇レオ4世が十字を切ると、847年に起こったヴァチカン近くのボルゴ地区の大きな火災が静まったというお話。

「署名の間」。
ここは教皇の図書室であり、公式書類の署名が行われた部屋だったとか。
この絵は「聖体の論議」。
ここは教皇の図書室であり、公式書類の署名が行われた部屋だったとか。
この絵は「聖体の論議」。

こちらは「アテネの学堂」。
「聖体の論議」も「アテネの学堂」も重要な人物がしっかり描きこまれていて、誰が誰か知っていればいるほどおもしろい!それにその人物のモデルになったのも実在の人だったりして。
例えば上の絵の中央にたって右手をあげているおひげの人は哲学者プラトン。絵のモデルはレオナルド・ダ・ヴィンチなんだって。左手前の紫の服をきて、憂鬱そうにしている哲学者ヘラクレイトスのモデルはミケランジェロだとか。
まだ26~27歳でこの二枚の作品を描き上げたラファエロ。のってますね♪
このヴァーチャル絵画館のサイトがくわしかったです。
では次は一番楽しみにしていたシスティーナ礼拝堂へ!
例えば上の絵の中央にたって右手をあげているおひげの人は哲学者プラトン。絵のモデルはレオナルド・ダ・ヴィンチなんだって。左手前の紫の服をきて、憂鬱そうにしている哲学者ヘラクレイトスのモデルはミケランジェロだとか。
まだ26~27歳でこの二枚の作品を描き上げたラファエロ。のってますね♪
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では次は一番楽しみにしていたシスティーナ礼拝堂へ!