全国ネットのテレビに初出演!!
昭和五四年の十一月、初めて全国ネットのテレビに出演しました。それも、あの格調高い、『夜のヒットスタジオ』という番組に。
小さいころ、まだ前田武彦さんが司会をやっていたころから、よく布団の中で見ていた番組で、そのころは、奥村チヨさん、舟木一夫さん、ザ・ピーナッツ、黛ジュンさん、伊東ゆかりさんなどが活躍していて、私も意味もわからずに♪あなたがかんだァ~小指がいたいィ~♪などと、歌っていたのです。
その歴史ある番組で歌えるなんて・・・・・・。
その日、一緒に出演していた、ピンクレディーは、ショッキングピンクのレオタードのような衣装。私も負けじと、濃紺のコーデュロイに、スキーセーターといういで立ちで望んだのでした。
音合わせ、カメリハ、ランスルーといった、テレビならではの世界を覗き、コンサートなどとはまったく違う、秒刻みで次から次へと目まぐるしく動きまわる人々には、とてもビックリしたのです。少しでも“ボケッ”としていると、すぐに
大きな声が、どこからともなくとんで来そうな感じで、常に神経をピリピリさせていなければ務まらない所だと思ったのです。“だから、テレビによく出ている人は、痩せているのかなー”なんて、一人くだらないことを考えたりもしたのでした。
普段は、ほとんどお化粧などしない私だけれど、やはりテレビとなると、そうはいかないのです。特に私は、貧血症というのではないのに顔色は悪いし、顔中ニキビだらけだし、素顔のままだと、もろに月の表面なので、少し濃いめにファンデーションを塗らなければならないのです。
一人でお化粧をすると、顔から粉を吹いたようになってしまうので、メイクさんにやってもらうのですが、お化粧とはよくいったもので、鏡の中の私が、みるみるうちに化けていくのです。“この顔は私のものではない”と思う反面、アイシャドーや口紅をつけて、大人になったような気持ちとが激しく混ざり合い、とても複雑な心理にさせるのです。お化粧というものは。
『シオン』を歌った私は、とにかくトチらないで済みますようにと、そればかり気にしていました。
テレビとは、一度出ただけでも、チャンネルさえ合わせれば、全国の人々に自分の存在を知ってもらえる、とても便利なマスメヂィアです。だから反対に大変だと感じたのは、持ち歌の時間が、新人なんかだと、一分三○秒という形で決められてしまうから、その中自分をすべて出しきらなければいけないのです。これが、至難の業。特に私のように、年がら年中、テレビに出ているというわけではない人にとってはよけいに。
この番組は、それ以来、まだ出演したことはありません。別に、出演を拒否しているわけではないのに・・・・・・。ウウッ・・・・・・。
しかし、いつかまた、出演できる日を夢見て、日夜、鏡の前で笑顔の練習に励む、私なのであります。









