In My Heart Concert Tour2005 無事終了 ④ | ボンさんの聖子さん日記

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でもメインはオマケで~す。

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♪7本目 6/8 名古屋 TOKUZO

 愛・地球博開催中で駅も街中も人が溢れていて、とっても活気づいていた元気印・名古屋。2200万人以上の動員で、大成功で幕を閉じた地球博には結局行けずじまい・・・。”マンモス館のアテンダントに玲子さん似の人がいる”との情報に、ならばこの目でシカと確かめに行かねばビックリマークと思っていたのに・・・・・・いとカナシ。

 いつも名古屋ライブは天候に恵まれない事が多いのに、この日は珍しく晴れ。今回のツアー中、一番盛り上がったのは何を隠そう、何も隠してない名古屋。アンコールが終わっても拍手は鳴り止まず、誰一人として席も立たない。で、再々登場し「走って下さい」を演った唯一のライブでした。名古屋人はホント熱いビックリマーク


♪8本目 6/12 宮古島 JANG JANG

 梅雨真っ只中の沖縄。激しい雨が降ったり止んだり・・・の1年振りの宮古。まずは昼食。蛸料理で有名な食堂【すむばり】で蛸墨入り焼きそばを食べる。素朴ながらにして上品な墨の甘さが伝わってくる、これこそ絶品料理ビックリマーク口の回りや口内は真っ黒、お歯黒状態になっちゃうけど、そんな事お構いなしなのだ。一緒に付いてきた沖縄の”もずく酢”もメチャウマッビックリマークその後、長ぁ~い池間大橋を渡り池間島へ。そこで見つけたのはトライアスロンの顔ハメ看板!!3人用のデカイもので、勿論、記念撮影。ハイ、ポ~ズッビックリマーク

 『んみゃーちビックリマークぱだぁぱだぁうらまんなぁー』宮古ライブの第一声。いらっしゃい、元気ですかはてなマークと言う意味の宮古の方言。沖縄は島ごとに方言が全く違い、島人の会話を聞いてても、まるで外国語のようで理解不能。そんな沖縄ライブでは内容も沖縄仕様。「てぃんさぐぬ花」「安里屋ユンタ」と沖縄の唄に挑戦。そして坪やんはこの日のために約1年かけて練習したという(なんて偉いのでしょ~!!)カチャーシー(三線で弾くテンポの早い、とても高度な技が必要なウルトラC級の楽曲)を初披露~ビックリマークチャンカチャンカチャンカチャンカ・・・と軽快なリズムに合わせて「唐船ドーイ」を弾き語る。私にはとてもじゃないけど覚えられない難解なメロディーだ。それを、弾きながら唄うのだ。とても凄い事なのだよ・・・一生懸命演り終えた坪やんに、拍手と共に容赦ない音場も飛ぶ。「それは那覇のカチャーシーだ、こんどは宮古のカチャーシーを演ってくれ」これだけ弾き語れるようになるまでには、並大抵の努力じゃなかっただろうに・・・なんて厳しいお言葉ビックリマークしかし負けず嫌いの彼は早速教則本を購入、「演ってやろぉ~じゃないかビックリマーク」と鼻息荒くヤク気満々。さて次回、はたしてどーなる事やら・・・。

 『たんでぃーがーたんでぃー』(ありがとう)と心を込めて言うと「じぃ~!!」(最高)と親指を立てて返してくれた。厳しいけれど素朴で熱い宮古の人達。

 さて宮古では”オトーリ”と呼ばれる独特なお酒の飲み方がある。泡盛を回し呑みするのだが、グループの”親”が口上を言ってから一気呑みし、他の一人一人についで回る。つがれた人も口上を述べ一気呑み。最後に”親”がもう一杯呑むと、次は隣の人が”親”になり口上を言って・・・・・・と、これが延々と続く。ライブ後、片づけをしていた楽器担当スタッフ"キティ関根”と坪やんがお客さんから誘われ、この恐るべしオトーリを断り切れずに始めたのである・・・桑原桑原・・・。


 オマケ


産業技術総合研究所(産総研)中国センターにある瀬戸内海の水理模型でしたが、35年の歴史に幕を閉じ今は閉鎖されています。

昔はパソコンとか無かったので瀬戸内海の水質調査等に利用されていました

が、時代の流れでパソコン画面でシュミレーション出来る様になり、引退となりました

長さ二百三十メートルの巨大な建屋の下に、二千分の一縮尺の瀬戸内海が広がります。


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瀬戸大橋です。
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安芸灘大橋です。
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2009.6.27