1980年4月24日 名古屋・雲竜ホール
「沢田聖子さわやかコンサート」と銘うった、思い出深き初ツアー。中でも名古屋はその一番最初のステージでした。それまではイルカさんの前座などで歌っていたので、このとき初めてアンコールの拍手を経験。
昨日ね、初めてアンコールのとき、胸が”ムズッ”としたのね。なんとも言えない気持ちだよ、あのアンコールの力強い拍手って・・・・・・。まだデビューして一年。でも今までに色々なことがあった。自分でもわかるんだ、少しずつ変わっていくのが・・・・・・。
日記をパラパラめくっていくと、聖子自身に小さな”ターニングポイント”がいくつか見えてきます。
●1979年 ねむの郷(デビュー前)
「それまでは”ピアノを間違える”という程度の問題じゃなかったんです。とにかくずっと、間違えっぱなしなんです。ところがこのときに、フト何かのきっかけで、弾けるようになったんです。弾きながらうたう、というコツをつかめたのかな、って気がしてます。それまでは本当につらかったので、あのときのこと、忘れませんね」
●1981年7月1日 日本青年館
「このときはライブレコードを作るために私の弾き語りの他にドラムを付けてみたんです。このころから音的に変わってきて、その重要さも分かってきた時期です。サウンドが厚くなれば声の張り上げ方も変わってきて、発声なども気になってきました」
●1983年春のツアー
「4月19日KBS京都ホールからはじまる”弾き語りツアー”でした。ピアノと私だけ、ということもあって、歌に対する思い入れがとても強くなりましたね。感情のこめ方も変わってきたんじゃないかとと私は思ってます。それから、このときは連日続きのステージが多くて、ノドの調子にも気を使い、終えたときにはひとつの自信となって残りっました。精神的にもずいぶん強くなってきたころです」
●そして、1985年春のツアー
「コンサートに対する考え方、少し変わってきたかなぁ、と思っています。デビュー当時は。とにかくこの場をなんとかうまく収めよう、みたいに必死でしたけど、最近は将来の展望を考えるという余裕のようなものもあって・・・・・・。6年間、アッという間せした」
2年おきに大きな発見をしている聖子。今は春から夏にかけてのロングツアー真っ最中。終えるころにはまたひとつの分岐点を迎えているのかもしれません。
1986年4月15日 水戸市民会館
今も続いてるロングツアーの初日。
「アンコールで、立って拍手してくれているお客さんを見て、私泣いてしまったんです」
涙の「シオン」。
いつもツアーに入るときは、新たな決意と思い入れを胸にすろ聖子、今回の答えは、まだ出ていません・・・・・・。
●ずっと、コンサート中心の活動をしてきた。デビューして6年。小さなステージまで含めれば、一体どれだけの曲を歌ったのだろう。緊張感を知った、落ち込むことも覚えた、そして、いくつかの感動を味わいながら今日の聖子は培われました。
-----いろんなシーンを思い出しながらの、コンサートダイアリーを、聖子自身からお届けします。
日曜日は市場が休みの為休業すると言うコダワリの若い板さんが切り盛りされています。
「TIME」観に行って来ましたよ~。
ラストは「えっ~?」だったけどなかなか面白かったです。
しかし今年は映画館でまだ2本目とスロースタートです。
それと、先週の土曜日の献血の検査結果が郵送されていましたが、朝食後2時間と言うハンデを考慮しても、数値的には全てボーダーライン以下でした。


